ウォーキング西国街道4 豊川~島本 -2021-09-09

2021.09.09(木) 日帰り

活動データ

タイム

05:01

距離

18.6km

のぼり

94m

くだり

129m

チェックポイント

DAY 1
合計時間
5 時間 1
休憩時間
22
距離
18.6 km
のぼり / くだり
94 / 129 m
5 2

活動詳細

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西国街道の続きで京都を目指す。 ウォーキングというよりハイキングみたい?!。 午前中はくもり空で涼しかったが、1時ころから快晴となり急激に暑くなった。やはり山中と異なり木陰や草の道がないだけに日射はキツイ! それでも真夏よりはうんとまし。 最初は前回まで来た大阪モノレールの豊川駅からスタート。今回はほぼ道なりに進むだけなので今までよりルートは取りやすかった。自販機が至るところにあるだけに、持参したぬるくなったお茶は持ち帰って、自販機で冷たいのを3本飲んだ。やはりサーモスは持ってこないとね。 茨木市は案内表示や昔の石碑などが豊富にあったが、高槻市に入った途端になんの案内もなくなり、代わりに高槻市が作った「古墳めぐりコース?」や「高槻まちかど遺産」が殆どになった。 高槻は古墳の街なのでそうしたいのは分かるが、もう少し西国街道にも力を入れてほしい。高槻市に入った途端に写真が減った! 高槻は予算も大きいはずなので、教育委員会の力の差か?(笑)とまれ、島本までは歩いた。

 モノレールの豊川駅出発!
モノレールの豊川駅出発!
 表示はあるがアクリル製が問題なのか文字が薄れて読みにくい。
表示はあるがアクリル製が問題なのか文字が薄れて読みにくい。
 のどかな田園風景。あとはほとんど住宅街のなかであった。
のどかな田園風景。あとはほとんど住宅街のなかであった。
 勝尾寺川。しばらくは川に沿って移動する。もっとも橋で越えるときに川面が見えるだけ。
勝尾寺川。しばらくは川に沿って移動する。もっとも橋で越えるときに川面が見えるだけ。
 分岐点。この道を行くと、豊川学校・勝尾寺。この道へは入らず真っ直ぐに行きます。
分岐点。この道を行くと、豊川学校・勝尾寺。この道へは入らず真っ直ぐに行きます。
 途中の橋にモチーフが。大名行列ですね。西国街道は大阪を通らず京に行く近道でもあった。
途中の橋にモチーフが。大名行列ですね。西国街道は大阪を通らず京に行く近道でもあった。
 これも先刻渡った勝尾寺川です。
これも先刻渡った勝尾寺川です。
 石碑に右:かつをじとあります。
石碑に右:かつをじとあります。
 折れてるけど、大阪道。その右は?左の石碑の下側にかつをじ。上は?
折れてるけど、大阪道。その右は?左の石碑の下側にかつをじ。上は?
 このあたりには立派なお屋敷があり、門の格子の向こうが中庭、突き当りが本当の玄関。うーむスゴイ。
このあたりには立派なお屋敷があり、門の格子の向こうが中庭、突き当りが本当の玄関。うーむスゴイ。
 郡山宿本陣(通称、椿の本陣)説明板によると、西国街道(山崎道)の京都~西宮間には、山崎・芥川・郡山・瀬川・昆陽の5つの宿場があったらしいが、残っているのはここだけのようです。コロナで見学は中止でした、残念!
郡山宿本陣(通称、椿の本陣)説明板によると、西国街道(山崎道)の京都~西宮間には、山崎・芥川・郡山・瀬川・昆陽の5つの宿場があったらしいが、残っているのはここだけのようです。コロナで見学は中止でした、残念!
 宿帳には赤穂城主 浅野内匠頭が宿泊したり、明治天皇が立ち寄ったりした記録があるようです。国の史跡に指定されています。
宿帳には赤穂城主 浅野内匠頭が宿泊したり、明治天皇が立ち寄ったりした記録があるようです。国の史跡に指定されています。
 この本陣の門の脇に椿の大樹があり五色の花を咲かせたことから「椿の本陣」と呼ばれたとあります。現存はしていなかったです。
この本陣の門の脇に椿の大樹があり五色の花を咲かせたことから「椿の本陣」と呼ばれたとあります。現存はしていなかったです。
 瓦の手捻りの猿。かわいいかも。
瓦の手捻りの猿。かわいいかも。
 字が消えかけ(泣)
字が消えかけ(泣)
 茨木街道との交差点?西国街道側は、西に池田、伊丹、神戸とあり、東に芥川、高槻?、京都とあります。
茨木街道との交差点?西国街道側は、西に池田、伊丹、神戸とあり、東に芥川、高槻?、京都とあります。
 左 かつをじ 左側は西国は読めますが跡の字が読めません。勝尾寺は昔よほど皆さんお参りしていたようですね。
左 かつをじ 左側は西国は読めますが跡の字が読めません。勝尾寺は昔よほど皆さんお参りしていたようですね。
 このあたり、西国街道は舗装が特別です。
このあたり、西国街道は舗装が特別です。
 また川沿いです。相変わらず勝尾寺川です。
また川沿いです。相変わらず勝尾寺川です。
 西国街道の説明です。山崎道は50kmの工程ですが、西国街道は山口県下関市まで続く、全長577kmの街道の中では一番長いものです。
西国街道の説明です。山崎道は50kmの工程ですが、西国街道は山口県下関市まで続く、全長577kmの街道の中では一番長いものです。
 しばらくは住宅街を通ります。
しばらくは住宅街を通ります。
 彫りがが新しそうな石碑が!南:堺・大阪・吹田・茨木 西:姫路・神戸・池田・岡・箕面山 までの距離。
彫りがが新しそうな石碑が!南:堺・大阪・吹田・茨木 西:姫路・神戸・池田・岡・箕面山 までの距離。
 東:大津・京都・八幡・山崎・芥川で北に明治30年10月建立とありました。ここは亀山街道との交差点です。
東:大津・京都・八幡・山崎・芥川で北に明治30年10月建立とありました。ここは亀山街道との交差点です。
 だって。
だって。
 まだ、勝尾寺川です。ここでお別れです。ただ、上流で小さな佐保川と合流して「茨木川」と名前を変えて「1級河川に昇格していました(唖然)
まだ、勝尾寺川です。ここでお別れです。ただ、上流で小さな佐保川と合流して「茨木川」と名前を変えて「1級河川に昇格していました(唖然)
 茨木も古墳が多いねー。荒木村重もこの後伊丹城主(有岡城)になった。
茨木も古墳が多いねー。荒木村重もこの後伊丹城主(有岡城)になった。
 立派な鬼瓦、家紋入り二重連(笑)
立派な鬼瓦、家紋入り二重連(笑)
 お地蔵様。顔を白く塗るのは京都でよく見る風習だが、このあたりもそうなのか。
お地蔵様。顔を白く塗るのは京都でよく見る風習だが、このあたりもそうなのか。
 蔵の白い壁と焼き杉の板壁。重厚ですね。
蔵の白い壁と焼き杉の板壁。重厚ですね。
 妙法院を少しダイナミックに撮ってみた。
妙法院を少しダイナミックに撮ってみた。
 これは安威川。昨日までの雨でどの川も増水しています。その後も芥川や水無瀬川を超えてゆきます。
これは安威川。昨日までの雨でどの川も増水しています。その後も芥川や水無瀬川を超えてゆきます。
 継体天皇陵が出てきた。
継体天皇陵が出てきた。
 お地蔵様。ここも顔を白く塗っている。
お地蔵様。ここも顔を白く塗っている。
 なかなかに立派なお屋敷。
なかなかに立派なお屋敷。
 新しい石碑があった。石碑であれば文字が薄れたりはしないよね。
新しい石碑があった。石碑であれば文字が薄れたりはしないよね。
 継体天皇陵の横に立派な木が、と見ると古墳のようである。「陪家」とあるのでお付きの家来の墓?
継体天皇陵の横に立派な木が、と見ると古墳のようである。「陪家」とあるのでお付きの家来の墓?
 継体天皇陵をグルっと回って、太田神社でちょっと休憩。
継体天皇陵をグルっと回って、太田神社でちょっと休憩。
 なんか、宮内庁は認めないが継体天皇陵は、このさきの今城大王稜が本当の墓らしいが宮内庁が認めていないと聞いたことがある。
なんか、宮内庁は認めないが継体天皇陵は、このさきの今城大王稜が本当の墓らしいが宮内庁が認めていないと聞いたことがある。
 お寺の山門かと思えるお屋敷。中庭も手入れがしっかり。
お寺の山門かと思えるお屋敷。中庭も手入れがしっかり。
 昔、行ったとき今城塚古代歴史館に天皇家の血統を書いた看板で、今の天皇家は血統的にどうよ?というのがあった。学芸員さんに聞いたら敢えて言わぬが花らしい。
みんな知っているんだ!と言っても南北朝に別れたときも南朝のほうが由緒あるとか言う人もいたが、結局は戦に勝ったもの勝ち。ということだね。
昔、行ったとき今城塚古代歴史館に天皇家の血統を書いた看板で、今の天皇家は血統的にどうよ?というのがあった。学芸員さんに聞いたら敢えて言わぬが花らしい。 みんな知っているんだ!と言っても南北朝に別れたときも南朝のほうが由緒あるとか言う人もいたが、結局は戦に勝ったもの勝ち。ということだね。
 古墳公園。
古墳公園。
 どんぐりが鈴なりに。
どんぐりが鈴なりに。
 古そうな酒屋の看板。
古そうな酒屋の看板。
 芥川一里塚。芥川宿の面影は他にもない。
芥川一里塚。芥川宿の面影は他にもない。
 一里塚と三宝荒神さん。大正十五年にこの地に移し、平成の終わりに大修理して今に至る。
一里塚と三宝荒神さん。大正十五年にこの地に移し、平成の終わりに大修理して今に至る。
 橋の透かしのレリーフ。図柄は大名行列。
橋の透かしのレリーフ。図柄は大名行列。
 JRをくぐる。レンガのトンネル。ねじりまんぼではない。
JRをくぐる。レンガのトンネル。ねじりまんぼではない。
 電動式脱穀機。昭和40年ころまで使われていたとか。島本町立歴史文化資料館。
電動式脱穀機。昭和40年ころまで使われていたとか。島本町立歴史文化資料館。
 足踏み式脱穀機。明治の末に考案されたらしいので大正時代のものか?派手なデザインである。横文字が新鮮だったのだろう。
足踏み式脱穀機。明治の末に考案されたらしいので大正時代のものか?派手なデザインである。横文字が新鮮だったのだろう。
 高槻市が腰を上げて作ったのかと思いきや「島本町」でした(笑)もう駅前です。
高槻市が腰を上げて作ったのかと思いきや「島本町」でした(笑)もう駅前です。
 島本駅に到着。
お疲れ山!
島本駅に到着。 お疲れ山!

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