”P”「市街地東」箕面駅→巡礼道→北向地蔵→萱野道→当対地公園→木戸ケ池緑地→西国街道→柳谷観世音碑→勝尾寺大鳥居→勝尾寺表参道→帝釈寺→皿池公園→善福寺→巡礼道→楠木神社→粟生団地バス停

2017.10.13(金) 日帰り

チェックポイント

DAY 1
合計時間
3 時間 24
休憩時間
34
距離
8.7 km
のぼり / くだり
128 / 115 m

活動詳細

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小雨降る天気であったが箕面を西から東へ歩いた。 東地区の寺社へは箕面の古道(巡礼道、萱野道、西国街道、勝尾寺表参道、巡礼道)を辿り、古道沿いにある道標、庚申塔、愛宕社を探訪しながら行く。 今回の訪問する帝釈寺、善福寺は共に勝尾寺を弥勒信仰の都卒の内院としてそれを守護する外院6院の一つである。外院6院の内現存するのは帝釈寺と善福寺のみと云われている。

六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 箕面駅出発
箕面駅出発
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 牧の庄の道標
牧の庄の道標
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 大きい石は牧の荘の標石と云われ、牧の荘(平尾・西小路・牧落・桜の4ケ村)を所領した旗本青木氏の代官寺井新十郎が、その位置を示すために建てたもの。小さい石は「すぐ中山」と記した道標である。これらは元は大井堰水路の中の分水石に転用されていたもの
大きい石は牧の荘の標石と云われ、牧の荘(平尾・西小路・牧落・桜の4ケ村)を所領した旗本青木氏の代官寺井新十郎が、その位置を示すために建てたもの。小さい石は「すぐ中山」と記した道標である。これらは元は大井堰水路の中の分水石に転用されていたもの
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 ”すぐ中山”
”すぐ中山”
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 箕面川を大井堰で分水取り込んだ水が流れている
箕面川を大井堰で分水取り込んだ水が流れている
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 真っ直ぐは大阪道 左右は巡礼道の交差点
牧の庄の道標はこの辺りにあった。  
真っ直ぐは大阪道 左右は巡礼道の交差点 牧の庄の道標はこの辺りにあった。  
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 巡礼道を東へ行く
巡礼道を東へ行く
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 平尾の北向地蔵 巡礼道の脇の北向きの地蔵を祀る地蔵堂。
平尾の北向地蔵 巡礼道の脇の北向きの地蔵を祀る地蔵堂。
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 二つの祠がある
二つの祠がある
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 地蔵さま
地蔵さま
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 脇には元禄13年(1700)に立てられた平尾の庚申塔がある。
又周辺の池や川に置かれた石仏を集めたもの
脇には元禄13年(1700)に立てられた平尾の庚申塔がある。 又周辺の池や川に置かれた石仏を集めたもの
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 元禄十三年 赤穂浪士 討ち入りの前年である
元禄十三年 赤穂浪士 討ち入りの前年である
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 桜並木 大阪みどりの百選の一つ
桜並木 大阪みどりの百選の一つ
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 巡礼道と萱野道の分岐 右が萱野道 左が巡礼道
巡礼道と萱野道の分岐 右が萱野道 左が巡礼道
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 巡礼道が萱野道と合流する地点に道標がある。
正面には「すぐ京道」
巡礼道が萱野道と合流する地点に道標がある。 正面には「すぐ京道」
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 願主は京の中本氏。
願主は京の中本氏。
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 裏面に「すぐみのを」
裏面に「すぐみのを」
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 萱野道を東へ
萱野道を東へ
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 坊島受水場 淀川を水源とする大阪広域水道企業団から水を受けている
坊島受水場 淀川を水源とする大阪広域水道企業団から水を受けている
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 市立第二中学
市立第二中学
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 鍋田川
鍋田川
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 川を美しくしてホタルを
川を美しくしてホタルを
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 曲り池
曲り池
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 馬のモチーフ この辺りは箕面の観光馬車や高山から荷物運搬用馬車の馬場であったそうだ。
馬のモチーフ この辺りは箕面の観光馬車や高山から荷物運搬用馬車の馬場であったそうだ。
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 萱野道分岐にあったのと同じ道標
萱野道分岐にあったのと同じ道標
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 願主は京の中本氏。
願主は京の中本氏。
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 当対池(とたいけ)公園
当対池(とたいけ)公園
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 付近にあった石仏(多くは墓石)を集めた一角の奥の灯籠の脇に庚申塔がある。
付近にあった石仏(多くは墓石)を集めた一角の奥の灯籠の脇に庚申塔がある。
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 新池の庚申塔
宝永2年(1704)の銘があり、箕面における庚申信仰は、西端の新稲に入ってから40年程で、この辺りまで広まったことが知られる。
新池の庚申塔 宝永2年(1704)の銘があり、箕面における庚申信仰は、西端の新稲に入ってから40年程で、この辺りまで広まったことが知られる。
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 芝新池
芝新池
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 北側の池が当対池 二つの池はつながっていない。
北側の池が当対池 二つの池はつながっていない。
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 当対池公園 広い
当対池公園 広い
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 昔 六尺道(ろくしゃくみち)と呼ばれた
昔 六尺道(ろくしゃくみち)と呼ばれた
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 六尺道は高山から馬車で材木を運んでいた道
六尺道は高山から馬車で材木を運んでいた道
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 馬のモチーフが取り付けられた道
馬のモチーフが取り付けられた道
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 ケンパ道 これも馬のモチーフ
ケンパ道 これも馬のモチーフ
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 足形 ケンパ道
足形 ケンパ道
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 キューズモールの南側に出る。
キューズモールの南側に出る。
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 国道171号線 新御堂筋の下を潜って
国道171号線 新御堂筋の下を潜って
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 生憎 工事中で箕面山道標に行けないので裏から回り込む
生憎 工事中で箕面山道標に行けないので裏から回り込む
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 箕面山への道標 
木戸池の脇の緑地に「是より西箕面山」「みのお山入口」と刻んだ道標がある。もともとは西国街道と萱野道の分岐点にあった。寛元12年(1672)、滝安寺岩本坊の僧の寄進であり、箕面で最も古い道標である。
箕面山への道標 木戸池の脇の緑地に「是より西箕面山」「みのお山入口」と刻んだ道標がある。もともとは西国街道と萱野道の分岐点にあった。寛元12年(1672)、滝安寺岩本坊の僧の寄進であり、箕面で最も古い道標である。
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 東面に天保11年(1840)に京都の中本氏が追善供養を行ったとの追刻がある。
東面に天保11年(1840)に京都の中本氏が追善供養を行ったとの追刻がある。
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 木戸ケ池緑地
木戸ケ池緑地
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 ステージもある
ステージもある
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 柳越しの木戸ケ池
柳越しの木戸ケ池
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 ここからは旧西国街道を行く
ここからは旧西国街道を行く
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 国道171号線を斜めに横切って東へ
国道171号線を斜めに横切って東へ
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 西国街道らしくなってきた
西国街道らしくなってきた
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 石丸の為那都比古神社の祭礼
石丸の為那都比古神社の祭礼
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 ここを右折して西宿児童遊園へ
ここを右折して西宿児童遊園へ
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 大木の下に祠が二つある。左が愛宕社 右がサイマッタンと呼ばれる石を祀る祠 南山と呼ばれた千里丘陵上の、村を見渡せる所にあったが、ニュータウンの開発によって、村の中の児童公園の中に移されたものである。
大木の下に祠が二つある。左が愛宕社 右がサイマッタンと呼ばれる石を祀る祠 南山と呼ばれた千里丘陵上の、村を見渡せる所にあったが、ニュータウンの開発によって、村の中の児童公園の中に移されたものである。
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 サイマッタン
サイマッタン
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 石神を祀る
石神を祀る
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 丸い石がご神体
丸い石がご神体
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 愛宕社
愛宕社
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 京都の愛宕神社の護符が祀られている。
京都の愛宕神社の護符が祀られている。
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 クスノキの大木の下に祠
クスノキの大木の下に祠
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 西宿の北向地蔵
西宿の北向地蔵
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 お地蔵さまの赤いよだれかけ 赤は赤子(赤ちゃん)の赤という説や、赤色には魔除けの 意味があるという説や、長生きを願ったという説もある。
お地蔵さまの赤いよだれかけ 赤は赤子(赤ちゃん)の赤という説や、赤色には魔除けの 意味があるという説や、長生きを願ったという説もある。
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 牛の像も下に
牛の像も下に
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 保護樹林 クスノキ
保護樹林 クスノキ
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 西宿の庚申塔
西宿の庚申塔
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 昭和2年(1927)に立てられたもので、自然石の庚申塔としては箕面で最も新しい。
昭和2年(1927)に立てられたもので、自然石の庚申塔としては箕面で最も新しい。
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 芋川 西へ流れる 最後(東端)の川 
芋川 西へ流れる 最後(東端)の川 
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 千里川に合流して猪名川へ
千里川に合流して猪名川へ
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 勝尾寺街道と交差
南向きは大阪街道とも云う。 上新田(豊中市)から三国街道へ
勝尾寺街道と交差 南向きは大阪街道とも云う。 上新田(豊中市)から三国街道へ
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 北向き勝尾寺街道 今は無くなっているがウツギ谷を経てしらみ地蔵へ
北向き勝尾寺街道 今は無くなっているがウツギ谷を経てしらみ地蔵へ
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 今宮の庚申塔(1713年) 近所の人のお話では20.30年前まで庚申講は実際に行われていたようだ。
今宮の庚申塔(1713年) 近所の人のお話では20.30年前まで庚申講は実際に行われていたようだ。
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 勝尾寺参道の燈籠があった。 倒れると危険なので壊したそうだ。
勝尾寺参道の燈籠があった。 倒れると危険なので壊したそうだ。
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 柳谷観世音菩薩の碑
京都府長岡京市にある楊谷寺の柳谷観音は、眼病の治癒に霊験があるとして信仰されていた。
柳谷観世音菩薩の碑 京都府長岡京市にある楊谷寺の柳谷観音は、眼病の治癒に霊験があるとして信仰されていた。
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 わざわざそこまでお詣りに行くのが大変なので、地区の人たちが講を結んで、明治38年に、ここに碑を立てて参詣したものである。
わざわざそこまでお詣りに行くのが大変なので、地区の人たちが講を結んで、明治38年に、ここに碑を立てて参詣したものである。
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 今宮交差点 箕面の分水嶺である。これより東側は下がっていく。川も東に流れる。
今宮交差点 箕面の分水嶺である。これより東側は下がっていく。川も東に流れる。
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 箕面墓地公園
箕面墓地公園
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 東へ下り坂になっている
東へ下り坂になっている
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 郷之久保川 この辺りから川は東へ流れる 豊島郡と嶋下郡の郡境を流れている
郷之久保川 この辺りから川は東へ流れる 豊島郡と嶋下郡の郡境を流れている
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 大鳥居手前 ここから西国街道が綺麗になる
大鳥居手前 ここから西国街道が綺麗になる
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 大鳥居三叉路
大鳥居三叉路
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 勝尾寺大鳥居 勝尾寺表参道が西国街道から分岐する地点に石造の大鳥居がある。鎌倉時代の寛文3年(1245)に初めて建てられた。扁額は清和天皇のご宸筆。
勝尾寺大鳥居 勝尾寺表参道が西国街道から分岐する地点に石造の大鳥居がある。鎌倉時代の寛文3年(1245)に初めて建てられた。扁額は清和天皇のご宸筆。
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 鳥居の下に、表参道36町に1町ごとに立てられた町石の、最初の36町石がある。
鳥居の下に、表参道36町に1町ごとに立てられた町石の、最初の36町石がある。
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 町石を寄進したのは大阪淡路町小嶋屋長左衛門後室であることを記した標石がある。
町石を寄進したのは大阪淡路町小嶋屋長左衛門後室であることを記した標石がある。
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 国道171号線を渡り、新家春日神社参道に三十三町石
国道171号線を渡り、新家春日神社参道に三十三町石
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 勝尾寺表参道を北へ
勝尾寺表参道を北へ
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 参道沿い 小さな川であるが
参道沿い 小さな川であるが
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 一級河川 箕川
一級河川 箕川
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 帝釈寺
古義真言宗高野山金剛峯寺末流。外院の里にあり。聖徳太子の創立と云われている。平安時代に清和天皇勝尾寺へ行幸した時、初めて当寺を訪れ、勝尾寺を都卒の内院として、当寺を外院と称された。それより以来、外院を以ってこの里の地名となった。
帝釈寺 古義真言宗高野山金剛峯寺末流。外院の里にあり。聖徳太子の創立と云われている。平安時代に清和天皇勝尾寺へ行幸した時、初めて当寺を訪れ、勝尾寺を都卒の内院として、当寺を外院と称された。それより以来、外院を以ってこの里の地名となった。
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 その山麓の外院において、守護の天部を祀った寺である。帝釈天、毘沙門天、弁才天の三天を祀って、古くは三天寺と称したが、現在は帝釈天を主尊として帝釈寺と称している。
その山麓の外院において、守護の天部を祀った寺である。帝釈天、毘沙門天、弁才天の三天を祀って、古くは三天寺と称したが、現在は帝釈天を主尊として帝釈寺と称している。
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 本堂
本堂
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 勝尾寺三十町石。
勝尾寺三十町石。
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 帝釈天降臨の地
帝釈天降臨の地
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 帝釈天降臨の松 
かつてご神木の立派な松の木があった。樹齢1200年、樹高20数メートル、幹周りは大人5人が手をつないでやっとだったとか。一本の木からのびた枝が、帝釈寺全体がおおっていたため、帝釈天が降臨された松“降臨の松”と名付られ、守り神のように信仰されてきた。
帝釈天降臨の松  かつてご神木の立派な松の木があった。樹齢1200年、樹高20数メートル、幹周りは大人5人が手をつないでやっとだったとか。一本の木からのびた枝が、帝釈寺全体がおおっていたため、帝釈天が降臨された松“降臨の松”と名付られ、守り神のように信仰されてきた。
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 二代目の松
初代は度重なる落雷と老朽のため、昭和30年頃、伐採された。
二代目の松 初代は度重なる落雷と老朽のため、昭和30年頃、伐採された。
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 境内のヤマモモは立派で保護樹木である。
境内のヤマモモは立派で保護樹木である。
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 宝暦5年(1755)の庚申塔
宝暦5年(1755)の庚申塔
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 帝釈天は仏教の庚申信仰では天帝に当たる。
青面金剛は帝釈天の使いである。
帝釈天は仏教の庚申信仰では天帝に当たる。 青面金剛は帝釈天の使いである。
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 皿池公園
皿池公園
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 山麓線を渡って勝尾寺表参道を北へ
山麓線を渡って勝尾寺表参道を北へ
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 勝尾寺表参道 二十六町石から右へ行く
勝尾寺表参道 二十六町石から右へ行く
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 のどかな農園の中の道を北へ
のどかな農園の中の道を北へ
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 はるか上に善福寺が見えてきた
はるか上に善福寺が見えてきた
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 善福寺の南側の台地は善福寺原と呼ばれ、中世には、善福寺原城と呼ばれる粟生城の出城(砦)が設けられていた。
石積みは砦の遺構か?
善福寺の南側の台地は善福寺原と呼ばれ、中世には、善福寺原城と呼ばれる粟生城の出城(砦)が設けられていた。 石積みは砦の遺構か?
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 善福寺原中継ポンプ場 
善福寺原中継ポンプ場 
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 この近くに砦があったそうだ
この近くに砦があったそうだ
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 善福寺への石段を登る 粟生間谷の小高い丘陵地にある
善福寺への石段を登る 粟生間谷の小高い丘陵地にある
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 粟生間谷の小高い丘陵地にある
粟生間谷の小高い丘陵地にある
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 善福寺 山門前に霊園がある
善福寺 山門前に霊園がある
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 大阪が一望 今日は天気が悪いがハルカスもかすかに見える。
天気が良ければ富田林のPLの塔も見えるそうだ。
大阪が一望 今日は天気が悪いがハルカスもかすかに見える。 天気が良ければ富田林のPLの塔も見えるそうだ。
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 善福寺山門 山号:歓喜山。本尊:十一面観世音菩薩(東向観音として知られる) 
開創:天平年間(729-749)。開基:善仲。中興:宝暦年間(1751-1763)俊然
善福寺山門 山号:歓喜山。本尊:十一面観世音菩薩(東向観音として知られる) 開創:天平年間(729-749)。開基:善仲。中興:宝暦年間(1751-1763)俊然
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 金比羅神社 鎮守社
金比羅神社 鎮守社
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 本堂 本尊 十一面観音と歓喜天を祀る。
十一面観音と歓喜天には曰く因縁がある。
本堂 本尊 十一面観音と歓喜天を祀る。 十一面観音と歓喜天には曰く因縁がある。
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 本尊:十一面観世音菩薩(東向観音として知られる) 中風封じ観音とも
本尊:十一面観世音菩薩(東向観音として知られる) 中風封じ観音とも
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 歓喜天は立像で抱擁している象頭人身のガネーシャと十一面観音双身像である。ガネーシャが疫病をはやらせ人々を苦しめているのをみて 心を痛めた十一面観音が美女に化身して現れ、ガネーシャは十一面観音との抱擁の中で自らの欲望を堪能し、歓喜を得て、仏法を信奉し、併せて仏教の護法神となったのである。
歓喜天は立像で抱擁している象頭人身のガネーシャと十一面観音双身像である。ガネーシャが疫病をはやらせ人々を苦しめているのをみて 心を痛めた十一面観音が美女に化身して現れ、ガネーシャは十一面観音との抱擁の中で自らの欲望を堪能し、歓喜を得て、仏法を信奉し、併せて仏教の護法神となったのである。
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 宝亀8年(777)光仁天皇の子で桓武天皇の兄の開成皇子の勅願によって建立された。この時、弥勒信仰により、弥勒寺(勝尾寺)を内院とし、外院6ヶ院を置いた。当山はその外院の一つである。 外院6ケ院で現存するのは当寺と帝釈寺のみとの事。
宝亀8年(777)光仁天皇の子で桓武天皇の兄の開成皇子の勅願によって建立された。この時、弥勒信仰により、弥勒寺(勝尾寺)を内院とし、外院6ヶ院を置いた。当山はその外院の一つである。 外院6ケ院で現存するのは当寺と帝釈寺のみとの事。
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 参道の坂道の途中に享保2年(1717)の庚申塔がある。
参道の坂道の途中に享保2年(1717)の庚申塔がある。
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 西田橋
西田橋
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 勝尾寺川 東へ流れ茨木川に合流
勝尾寺川 東へ流れ茨木川に合流
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 茨木の総持寺への巡礼道を行く
茨木の総持寺への巡礼道を行く
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 巡礼道らしい道
巡礼道らしい道
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 楠木神社のムクノキ
楠木神社のムクノキ
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 根が張りだしている
根が張りだしている
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 楠木神社 粟生間谷の奥の集落の氏神である。祭神として天照皇太神宮の神札が祀られている。明治40年の神社統合によって素盞鳴尊神社に合祀されたが、戦後再び分祀されて、ここに戻ったもので、現在でも素盞鳴尊神社の御旅所となっている。
楠木神社 粟生間谷の奥の集落の氏神である。祭神として天照皇太神宮の神札が祀られている。明治40年の神社統合によって素盞鳴尊神社に合祀されたが、戦後再び分祀されて、ここに戻ったもので、現在でも素盞鳴尊神社の御旅所となっている。
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 境内には大きなムクノキがあり保護樹木である。 ムクノキなのに何故か楠木神社
境内には大きなムクノキがあり保護樹木である。 ムクノキなのに何故か楠木神社
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 社殿 切妻平入り
社殿 切妻平入り
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 勝尾寺川を渡る
勝尾寺川を渡る
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 山麓線を西へ
山麓線を西へ
六個山・鉢伏山・明ヶ田尾山・五月山 粟生団地バス停 到着
粟生団地バス停 到着

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