帰りに見つけた東日本大震災での津波到達地点の石碑。 戻る 次へ

5.5mで助かった命<三陸・本州最東端>の写真

2017.10.08(日) 11:37

帰りに見つけた東日本大震災での津波到達地点の石碑。

この写真を含む活動日記

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1649.4 km

11525 m

5.5mで助かった命<三陸・本州最東端>

みちのく潮風トレイル 普代村南部~田野畑村ルート (岩手)

2017.10.07(土) 2 DAYS

嫁さんと二人でどこか温泉でも... そう思ってた今回の連休だが、急遽大阪の親戚から呼ばれた嫁さんにポツンと取り残されたワタシ。 しかしこれは願ってもないビックチャンス到来! 以前から計画倒れになっていた「本州最東端」が真っ先に頭に浮かんだ。 初日の天気予報はイマイチだが後二日は間違いない。 目指す岩手県・盛岡までは730km。 北陸道→磐越道→東北道と、ちょうど200kmごとに給油出来るSAだけを確認し、 北上する雨雲を追いかける様に土曜朝9時、金沢を出発した。 幸いにも日本海側から徐々に晴れ間が広がり、佐渡島を横目に見ながら磐越道へ。 磐梯山は残念ながら雲の中だったが、この日は移動日と割り切り久しぶりの東北道へ。 ここからいよいよ紅葉渋滞が始まるか?! と思ったら天気のせいかそれほどでもなく快調にぶっ飛ばす。 しかし福島市あたりから霧雨に遭い、花巻市手前でとうとう雨雲に追いつく。 ちょうどビールも飲みたくなって来た頃でもあり躊躇せずに高速を下りた。 せっかくだから宮沢賢治の世界観も一緒に...味わってみるとしよう。。。 今回も泊まるというより情報収集と休憩も兼ねてネットカフェを利用。 それが功を奏したと言っていいのか...このお陰で翌日の行動予定がガラッと変わった。 10/7(土)バイク移動696km 行動9時間 10/8(日)バイク1110km、徒歩7.6km 21時間 そんな三陸の旅日記を 恥ずかしながらご紹介させて頂きますm(_ _)m <震災遺構> 興味のない方はスルーして下さい。 ネットカフェで三陸で色々と検索していたところ、大変興味深い記事に辿り着いた。 岩手県宮古市田老地区にある田老(たろう)観光ホテル。 田老町は明治29年と昭和8年の三陸沖地震による津波で甚大な被害を受けたため、世界でも類を見ない高さ10m、総延長2.4kmにも及ぶ日本の万里の長城とも揶揄される長大な防潮堤を起工から半世紀の年月をかけて築いていました。 昭和8年の津波被害の時には、全村を高台に移転しようという計画もあったらしいが、巨大な防潮堤を築くことにその費用を使い、人々は元の場所に集落を形成した。 当然、防潮堤だけでなく高台等に避難する経路も整備され、田老町は防災意識の高い津波防災の町を宣言していたが、 東日本大震災では押し寄せた大津波が一瞬のうちに防潮堤の一部を破壊したうえに、津波の高さは防潮堤の高さをゆうに越えていたため内側の市街地にまたもや甚大な被害が出てしまった。 そんな中、津波に流されず倒れず残ったのが田老観光ホテルだった。 そして普代村の水門。 東日本大震災では大津波をはじき返し、普代村の人的被害を死者ゼロ、行方不明者1名に抑えこんだ施設。 田老町の防潮堤が高さ10mなのに対し、普代村の水門と防潮堤は高さ15.5m。 この15.5mという高さは昭和8年の大津波を体験した元村長さんが 「この高さでなければ意味がない」と、こだわった数字なんだそうです。 来るかどうかも知れない大津波を防ぐために高さ15.5mの防潮堤を造る。 建設当時には猛烈な反対運動があったとされています。 しかし15.5mの高さでなければ津波が防潮堤を越えてしまう。2度あったことは3度あってはならない と、 元村長さんが人生をかけて築き上げた設備が結果として、多くの人命を救うことになった。 未曾有の大津波をはじき返して、現在も原型をとどめてそこに鎮座する普代水門の前に立つと、 私もその水門や防潮堤に神々しさすら感じました。