活動データ
タイム
11:07
距離
15.5km
のぼり
2092m
くだり
2092m
チェックポイント
活動詳細
すべて見る北アルプス挑戦第2弾は岐阜県最高峰&長野県最高峰の奧穂高岳と涸沢岳の縦走にチャレンジしました🙂 出発地は上高地になりますが、上高地へはマイカーで乗り込むことはできないので前日は沢渡で車中泊🚘 沢渡から上高地へはバスかタクシーでしか行けません🚌🚕 朝2時45分に起床していつも通りカップラーメン🍜とおにぎり3個🍙を食べてお茶6lを持って準備。 4時過ぎからバスターミナルでタクシーを待ちます🚕4:20頃に他に待っていた登山客の方とタクシーに相乗りして上高地へ向け出発(3人で乗ったので1人1300円かかりました)。 25分程度で到着するはずですが、途中のゲートが5:00~20:00(7~8月)しか開いていないので、ゲートが開くまで暫く待機。それでも5:05頃に上高地に到着🚖 何とか5:09に出発準備ができました👍今回も前週と変わらず足の状態は良くなく出発時間も遅いので、あまり無理はできません。また沢渡へのバスも最終便が17:30なのでそれまでに下山しなければなりません。最低限奧穂高岳だけは登りたいと思い出発🚶 風光明媚な避暑地の町並み、河童橋を抜ければ徐々に湿原の木道に入って行きます。 10分ほど歩くと登山口(標高1517m)があります😶 まずは岳沢登山道を登って行きます。序盤は緩やかに登って行きますが、木製の橋を越えて標高1600m辺りから徐々に傾斜がきつくなって来ます😐 先週の槍ヶ岳の登山道と同じように岩や浮石🪨が多い登山道。足にズキズキきます😣 標高1750m辺りには開けたザレ場の急登。ここを越えると幾分か傾斜が緩やかになりますが、基本的にはきつい登りです😥 何とか6:30過ぎに岳沢小屋(標高2222m)に到着🏚️ここから、さらに傾斜がきついきつい重太郎新道を登っていかなければならないので休憩しました🥛 小屋の東のザレ場にあるテント場群を抜けると重太郎新道に入ります😶 穂高小屋(穂高岳山荘)の創設者今田重太郎氏(奥穂高岳頂上の祠の設置者でもある)の名前を元に名付けられたこの区間は急登続きでハードなルートになります🙁 序盤はお花畑の傾斜をつづら折れ状に登って行きますが、徐々に急登に入って行きます☹️ 標高2450m辺りからは梯子が設置された箇所が複数現れます。岩や浮石が多く梯子や鎖が設置されていて、これでもかと急登を味わえます😌 標高2650m辺りからは岩場の登りが始まり前穂高との分岐紀美平までは残り250mのアップ。体力的にはかなり消耗するゾーンです😣 何とか紀美子平(標高2900m)に到着。ここで休憩🥛 紀美子平から前穂高岳への登頂はバスの最終便に遅れるとシャレにならないので断念(結果的に見れば登っても最終便に乗れたかもしれません)🙅 紀美子平からは吊り尾根のトラバース道を進んで行きます。ただし、トラバース道と言っても森林限界を越えたザレ場・ガレ場の道。楽には進ませてくれません😑 特に標高3000m辺りからは岩場の急登があります。この日の足の状態と岩場の相性は最悪。それでも歯を食いしばって登って行きました😤 何とか10時前に日本の山の中で標高第三位の奥穂高岳頂上(標高3190m) に到達😇岐阜県&長野県の最高峰にもなります🤠 穂高の山々は1893年に陸軍参謀本部の外局陸地測量部(国土地理院の前身)の測量技官:館潔彦と猟師・案内人の上條嘉門次、ウォルター・ウェストン(穂高登山の祖)らによって前穂高岳が開拓され、1906年に前述の測量技官:館潔彦や阿部郡治によって奥穂高岳や西穂高岳が開山されていって、1909年に日本山岳会創設期のメンバー鵜殿正雄によって前穂高岳から槍ヶ岳への縦走路も開拓されるようになりました🧐 ここから大正年間から昭和期にかけて、深田久弥氏が、「山岳団体に所属する人の中で涸沢生活の経験を持たないだろう。夏には幾十のテントがそこに並び、アルペニストのメッカになった」と記すほどの活気を呈するようになりました😉 先週の槍ヶ岳と同じように、ある程度力がついてきた登山者が目指す山が奥穂高岳かと思われます😗 槍ヶ岳に続いて今年中に絶対に登りたかった山だったので感無量です(東海地方の人間なので岐阜県最高峰のバッジが欲しかった)😄 また、時間的に北穂高岳は無理でも涸沢岳なら行けるかなと思ったので、ついでに涸沢岳(日本の山の標高8位)まで縦走することにしました😀 そういえば、奥穂高岳頂上ではこれからジャンダルムに向かおうとする神々の領域のパーティーもいました😮 憧れの目で見つつも、私のレベルではまだまだ到達できない領域ですね。現状では自分でできることは限られてるので、自分のやれる範囲内で無理せず登ります。 その領域に今後近づけるか分かりませんが、私の場合はまだまだ色々と課題も多いので少しずつ課題を解消していって、焦らず力をつけていこうと思います😅 奥穂高岳からは小ピークを2つほど越えながら急登の下りに入ります。鎖場や梯子が設置されていてかなりの急傾斜なので注意が必要です。慎重に下って穂高岳山荘(標高2983m)に到達🏚️ 前述の今田重太郎氏が1925年に小屋を建てから、100年弱の歴史がある山小屋です。 ここは沢山の登山客の方々で賑わっていました。ここで休憩🥛 いよいよ最終目的地の涸沢岳を登ります😉 涸沢岳までもこれまでと同じようなザレ場・ガレ場の急登を登って行きます。ただし、ザイテングラードとの分岐から500m程度の距離なので直ぐに頂上に到達できます😙 何とか11時前に頂上(標高3110m)に到達🤠目の前には北穂高岳の雄姿。いつの日か挑戦してみたい。ずっとガスが出ていたのに、何故か涸沢岳ではガスが薄れて展望を楽しめました😆 穂高岳山荘まで急登を緩いスピードで駆け下っていき🏃、念のため休憩🥛 山荘から奥穂高岳方面を改めてみるとごっつい登り。 崖のような急登を登って行きます。急登を100mほど登りさらに小ピークを2つほど越えて奥穂高岳頂上に戻ってきました😶 奥穂高岳からはまず紀美子平を目指します😶この区間はザレ場・ガレ場の細かいアップダウンを越えながら290mのダウンをします。元々岩場が苦手で両足の痛みがある状況ではスピードは出せないので無理せず、ゆっくり下って行きました😐 13時過ぎに紀美子平に到着して軽く休憩🥛 紀美子平からもザレ場・ガレ場の急登の下りが続く重太郎新道。ここも速く下れずゆっくり下って行きました🚶 何とか15時前に岳沢小屋に到着🏚️岳沢小屋で最後の休憩🥛 岳沢小屋からは最後に気合を入れて痛みに耐えながら、歯を食いしばって岩や浮石が多い下りを駆け下って行きました🏃 傾斜はありますが、重太郎新道や吊り尾根よりは下りやすいです☺️ しかし、不運なことに途中から豪雨に打ちつけられて大きくペースダウン😫最後の方はスマホが水浸しで作動せず写真が全く撮れませんでした😞YAMAPの地図も見れず、途中右往左往して時間がかかりましたが、何とか16時半前にバスターミナルへ戻ってきました😥 先週に続き足のコンディションが悪かったのでハードな行程になりましたが、何とか目標の奥穂高岳と涸沢岳の登頂と下山ができて良かったです😄 沢渡に戻ってからは温泉でゆっくりして帰宅しました🚗 厳しい状況は続きますが、これからも頑張っていこうと思います💪 今回も山行を楽しめました😊
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