新奥の細道 No10:城下町から鞍石山に登る道

2021.07.08(木) 日帰り

活動データ

タイム

05:34

距離

14.8km

のぼり

341m

くだり

340m

チェックポイント

DAY 1
合計時間
5 時間 34
休憩時間
1 時間 11
距離
14.8 km
のぼり / くだり
341 / 340 m
5 34

活動詳細

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今回の奥の細道は折り畳み自転車で二本松の「大輪寺」からスタートし、二本松城~智恵子の生家~智恵子の杜~二本松神社~二本松市歴史資料館と巡ってみました。

 二本松城の殿様、丹羽家の菩提寺「大輪寺」からスタートです。
二本松城の殿様、丹羽家の菩提寺「大輪寺」からスタートです。
 大輪寺の歴史です、初代光重公から9代までの墓石があります。
大輪寺の歴史です、初代光重公から9代までの墓石があります。
 寺の概略図です。
寺の概略図です。
 丹羽家の略歴です、室町時代初頭からの立派な家系なんですね、そして信長家臣の丹羽長秀の家系なんですね!
丹羽家の略歴です、室町時代初頭からの立派な家系なんですね、そして信長家臣の丹羽長秀の家系なんですね!
 二本松少年隊の墓が有りました、12歳からの子供たちだったんですね!今じゃ考えられないですね!
二本松少年隊の墓が有りました、12歳からの子供たちだったんですね!今じゃ考えられないですね!
 丹羽家歴代の墓所です。
丹羽家歴代の墓所です。
 初代光重公の墓です。
初代光重公の墓です。
 墓石は二種類あります、いずれも大きいです。
墓石は二種類あります、いずれも大きいです。
 二本松城に行く途中の散策コースにこんな碑がありました、万葉集です。
二本松城に行く途中の散策コースにこんな碑がありました、万葉集です。
 二本松城に着きました、10万700石の城だけあって立派です。
二本松城に着きました、10万700石の城だけあって立派です。
 二本松城に着くと、二本松少年隊の像があり、彼等の悲劇が書いてありました。
二本松城に着くと、二本松少年隊の像があり、彼等の悲劇が書いてありました。
 城内案内板です、古くは15世紀畠山氏の居城だったんですね!
城内案内板です、古くは15世紀畠山氏の居城だったんですね!
 城の城門「箕輪門」です、材木は箕輪というところから運んできたそうです、とてもカッコいいです。
城の城門「箕輪門」です、材木は箕輪というところから運んできたそうです、とてもカッコいいです。
 智恵子の生家に行く途中、県内有数の酒蔵「大七酒造」がありました、素敵な外観ですね!
智恵子の生家に行く途中、県内有数の酒蔵「大七酒造」がありました、素敵な外観ですね!
 智恵子の生家です、説明するまでもないですね!
智恵子の生家です、説明するまでもないですね!
 「智恵子の杜」の散策路に神社がありました、2人はここでお願いをしたんでしょうね!
「智恵子の杜」の散策路に神社がありました、2人はここでお願いをしたんでしょうね!
 智恵子と光太郎が菩提寺の満幅寺に行くとき歩いた道です、今は舗装されていますが!
智恵子と光太郎が菩提寺の満幅寺に行くとき歩いた道です、今は舗装されていますが!
 さすが光太郎の影響なのか彫刻がいっぱいありました。
さすが光太郎の影響なのか彫刻がいっぱいありました。
 ここが二人が好んで通った場所です、ここで愛を育んだんでしょうね!
ここが二人が好んで通った場所です、ここで愛を育んだんでしょうね!
 あれが安達太良山、あの光るのが阿武隈川、とここで読んだそうなのだが安達太良は見えたけど阿武隈川はよく分かりませんでした、やはり当時とは変わっているんでしょうね!
あれが安達太良山、あの光るのが阿武隈川、とここで読んだそうなのだが安達太良は見えたけど阿武隈川はよく分かりませんでした、やはり当時とは変わっているんでしょうね!
 鞍石山山頂です、山頂付近は今は「知恵子の杜」として憩いの場になっています。
鞍石山山頂です、山頂付近は今は「知恵子の杜」として憩いの場になっています。
 二本松市内に来ました、二本松神社です。格式の高そうな立派な神社でした。
二本松市内に来ました、二本松神社です。格式の高そうな立派な神社でした。
 最後に「二本松市歴史史料館」によりおさらいをしました。入館料100円です。
最後に「二本松市歴史史料館」によりおさらいをしました。入館料100円です。

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