♪(´ε` )ちゅ〜愛❌ 仲哀⭕️天皇に会いに華山西の嶽アゲイン...化身(大蛇)からの御告げ💦

2021.06.06(日) 日帰り

活動データ

タイム

04:05

距離

6.5km

のぼり

634m

くだり

650m

チェックポイント

DAY 1
合計時間
4 時間 5
休憩時間
48
距離
6.5 km
のぼり / くだり
634 / 650 m
2 25
1 21

活動詳細

すべて見る

先週西の嶽(華山)に登り、仲哀天皇殯葬所の説明書きで「西暦250年頃」という年代を知りました。 これって卑弥呼の頃じゃん‼️ ポッカの古代ロマン好きに火が灯りました🔥 西の嶽山頂の仲哀天皇殯葬所に着き、祠の周囲を回って真後ろに行った時、これまで見た中で一番大きな蛇が祠から薮の方に‼️💦 長さ1m以上、腹の太さ5cm以上🐍😱 もしかして仲哀天皇の化身でしょうか。 何かのヒラメキ💡 鳥居の中から延長方向を眺めると満珠干珠が見え、四王司山が見えます。 これって長府方向❗️ そう言えば長府の日頼寺には仲哀天皇の御殯斂地(ごひんれんち)があるなぁ... なぜ2箇所で仮埋葬したのかは分かりませんが、ご遺体を敵から守る為に複数箇所で隠す意図があったのかもしれません。 仲哀天皇亡き後、その意思を継いでクマソ征伐を行ったのが仲哀天皇の妻の神功皇后(じんぐうこうごう)です。 仲哀天皇が長府に建てられた仮の皇居、豊浦宮(とよらのみや)(現在の忌宮神社)の鳥居の延長上に日頼寺の御殯斂地があり、西の嶽の鳥居の延長上も日頼寺の御殯斂地か豊浦宮を向いている❗️ 西の嶽から見る豊浦宮の更に先には皇后がクマソ征伐に向かった九州の地。 仲哀天皇がいつも見守れるように、そちらを向いているのかもしれませんね💕💦 ところで卑弥呼ですが、調べてみると神功皇后が卑弥呼ではないかと言う説もあるようです。 卑弥呼の娘は台与(とよ)。 この時代の漢字は後の世の当て字。 やまとことばの発音が重要です。 「とよ」でピンと来るのは豊浦宮(とよらのみや)。 案外、神功皇后は卑弥呼の娘の台与かもしれません😅 卑弥呼「ひみこ」を、姫「ひめ」と巫女、神子「みこ」で書くと神功皇后と何らかの関係性がある気がしてきます。 仲哀天皇の化身が、もっと考えて、と言ってたような🐍💕💦 ※※※ ところで西の嶽の麓のキャンプ場に一泊したのはホタルを見る為です😅 沢沿いに乱舞してました👍

もしも不適切なコンテンツをお見かけした場合はお知らせください。