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御嶽山~金鑚神社~の写真

2021.06.05(土) 16:16

この写真を含む活動日記

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3.4 km

368 m

御嶽山~金鑚神社~

藤岡市 (群馬, 埼玉)

2021.06.05(土) 日帰り

 用事で本庄市に行ったついでに隣接する神川町の金鑚神社(かなさなじんじゃ)も訪れた。6〜7年前まで本庄に住んでいたのだが、そのころの私にとってこの神社で過ごす週末のひとときは密かな楽しみだった。金鑚神社は武蔵国二ノ宮、しかし、知名度はそんなに高くない。だから管理が行き届いている割に訪れる人が多過ぎず、静かで、そこが私は好きだった。  この神社は社伝が正しいとすれば日本武尊が二世紀初頭に創建したことになるのだが、本当のところはよく分かっていない。実際は社名からも窺えるように良質の砂鉄が産出されたことに端を発したのではないかと考えられている。古代の日本人は高度な製鉄技術を持っていなかったから、大陸から来た技術者集団をこの地に移り住まわせ鉄器の生産を行ったという説があって、この渡来人を祖とする豪族が金鑚神社を祀ったのが始まりだと考えると面白く、ロマンは尽きない。本庄市及び児玉郡は古墳が多く遺っていて、力のある集団がいたことは間違いないのである。  金鑚神社の御神体は拝殿の奥にあるなんの変哲もない山で社殿は存在しない、古代の様式を今に遺す非常に珍しい神社である。しかし、この御室山と呼ばれる御神山は中途半端な山で、どうせ拝むなら隣の御獄山なのになぜかそれに連なるただの尾根のような山が御神山とされている。個人的には、元々御神山として拝んでいたのではなく、御室山に渡来人の墳墓があって、それを拝んでいたのが始まりだったのではないかと思う。そう考えている人は多いのではないかと思うが、発掘調査ができない以上証明される日は永遠に訪れないだろう。  御室山は当然のことながら入山できないのだが、御獄山は登ることができる。この山にはかつて御嶽城という城があった。頂上は本廓跡で、他に東廓と西廓があったようだ。東廓跡は小さな広場になっていて、ここにテントを張ることにした。最近テントを購入したのでここで試してみるために持ってきていたのだ。東屋に道具を並べ始めたころ、一人の若者がやってきた。フルフェイスのヘルメットを片手に広場の奥の藪の方を覗いてキョロキョロしている。東廓跡の奥にはちょっとした岩があり、その上が修験道の護摩壇だった場所で現在は展望台になっていた。彼は岩を見てヘルメットの扱いに困ったのか戻ろうとしていたので、その先は景色がいい展望台になっているよ、なんならここで荷物を預かるよと勧めた。彼は素直に勧めに従ってくれて、ヘルメットや上着を東屋に置き、お願いしますと言って展望台へ向かった。天候があまり良いとは言えない状況だったので感動まではしなかっただろうが、戻ってきたときに少しは楽しめたのかありがとうございましたと笑顔で言ってくれた。  僅か100m余りの小山なのだが、彼は登るのが大変だったと言って額の汗を拭う。私は友人が本庄に遊びに来てくれた時に一緒に登った時のことを話した。あの時はこの東屋にたどり着くまでに何度も立ち止まってさ、それでやっとのことで登ってきたのはいいけど、ここに腰掛けたら今度は動けなくなってさ、息が切れて会話もろくにできなくて、まったく酷いもんだったよ。それに比べればあなたは大したものだよと言って若者を誉めた。  若者と別れ、テントを設営し終えると今度は若いカップルがやってきた。姿が見える前から二人の弾けた会話が聞こえる。正確には彼女の声が聞こえてくるが彼の声はほとんど聞こえない。彼女は私のテントを見るなり、あ~すごい!と言った。(そんなすごくないんだけどね……)女の子のテンションが高過ぎる。二人は私に挨拶して展望台に向かった。茂みの向こうから彼女のキャッキャとした声が聞こえる。(何しているんだろう……)私の妄想も罰ゲームの風船のように膨張し、弾ける一歩手前。二人が戻ってきたが、彼氏はテントには目もくれず通り過ぎた。彼女の方は私がここでテン泊すると思い込んでいる眼差しで、泊まるんですか?いいですねぇなんて言う。いやいや泊まんないですよ、テントの試し張りですからと言っても、いいですねぇ、楽しんでくださいねぇなんて言って、人の話を全く聞いていない。まあどうでも良かったので、そういうことにしておいた。きっと家に帰ってテントで泊まる人がいたよ~なんて話してるのだろうと思うと可笑しくなった。  その後も何組か広場にやってきた。その中の一人にカメラマンがよく着るようなベストを羽織った品のいいおじいさんがいた。彼は愛想のよい笑顔で話しかけてきた。私はテントの片付けをしながら彼の話を聞いた。東廓の広場には檜のてっぺんまで這い上がった藤があって実を付け始めていたのだが、ひと月前に来たときはそれはそれは素晴らしかったと、そんな感じの話だった。話がひと段落ついたとき、彼はひょいっと東屋の方を向いて、いいカメラがありますねと言った。東屋に最近ネオ一眼と呼ばれるカテゴリーのコンデジを置いていたのが目に入ったようだ。あとで分かったが、登山と写真が彼の趣味だった。だからテントとカメラを見て話しかけてきたのだろう。私のザックと広げた中身を眺めながら、こんなことができる年でいいねぇと言われて、いやいやそんなことないでしょうというと、今82歳なんだけど病気をしちゃって、一応治ったから今日はここに練習に来たんですよ、体が慣れてきたら今度は×××へ行こうと思ってと彼は言った。75くらいだと思っていたので率直にそう言うと、無言でニンマリした。そんな彼だが、ネパールにハイキングに行ったことがあると言ったので驚いた。帰ってから調べてみるとハイキングツアーがあるらしい。ヒマラヤやマナスルを登るのは無理でもこの目で見るのは素晴らしい経験になるだろう。  最後に彼はとぼけた表情で、最近友達が減ってね、同級生はもうほとんどいないね、いても動けないとかね、それが困りごとだね。これには苦笑するほかなかった。