鳥見山~外鎌山

2021.06.05(土) 日帰り

チェックポイント

DAY 1
合計時間
3 時間 53
休憩時間
1 時間 4
距離
7.4 km
のぼり / くだり
401 / 387 m
28
7
19
1 14
6
9

活動詳細

すべて見る

大和桜井の、鳥見山から外鎌山へ名所を見ながら歩きました。鳥見山の歌碑を一つ一つ読んで味わっていると結構時間がかかりました。 鳥見山は神代から人代への昔、先住者ヤソタケルを殺してヤマトを占領したイワレヒコ(神武)が皇祖アマテラスに報告したという「鳥見の霊畤」。最初の「大嘗祭」の場所として知られています。 (なお、「鳥見の霊畤」は生駒の向井山、榛原の鳥見山、東吉野村にも碑があります。) 等彌神社の鳥居をくぐると、いきなり「神武天皇聖跡鳥見山中霊畤顕彰碑」がありました。側面へ廻ってみると「紀元二千六百年奉祝」とあります。「金鵄輝く日本の 栄ある光身にうけて いまこそ祝へ このあした 紀元は二千六百年 ああ一億の胸はなる・・・」。あれですね。戦前軍国主義時代、「国体明徴運動」の嵐が吹き荒れたころの遺物ですね。 本殿脇の「鳥見山霊畤の碑」の左から登っていくにつれ、あるわあるわ、時代の遺物。この時代の人たちは神武天皇を実在の人物と信じ、鳥見山霊畤も史実と思っていたのかしら・・・。それはともあれ、国の始まりの神話・説話は物語としてはとても面白いものですね。鳥見山に登ると少し薄気味悪く、パワースポットを信じる人の気持ちも分かるような気がします。 外鎌山には段ノ塚古墳(舒明陵)や大伴皇女の墓、鏡女王の墓、があります。説明板によると、舒明は斉明の夫で中大兄、大海人の父。大伴皇女は欽明の子。鏡女王は額田王の姉で、天智天皇に愛され、後に藤原鎌足に下賜されて鎌足の正室になった人。今の感覚では「何たるセクハラ!」。 外鎌山からの展望は素晴らしい! 鳥見山から東への下山道は、今回はYAMAP地図の赤線通りに歩いてみましたが、この道は少し荒れています。途中で左へ別れる道があるのでそちらの方が良いと思います。下山口もその方が道が分かりやすいです。

もしも不適切なコンテンツをお見かけした場合はお知らせください。