焼肉竹の親父の山歩記 三国岳(滋賀県) 霧の中のブナ林

2021.05.18(火) 日帰り

活動データ

タイム

02:55

距離

4.2km

のぼり

329m

くだり

327m

チェックポイント

DAY 1
合計時間
2 時間 55
休憩時間
42
距離
4.2 km
のぼり / くだり
329 / 327 m
2
53
18
16
36
1

活動詳細

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前半、親切過ぎるくらい、ピンクテープが道を明瞭に示していた。 基本沢沿いを小さな渡渉を繰り返しながら徐々に高度を上げていくのだが、あんなにあったテープが何故か途中、いよいよ急登に差し掛かった地点でぷつりと途切れてしまった。 それでも、かなり高さのある極細のトラバースを行こうとしたが、雨で滑りかけるし、頼れる木の根や岩もなく、行けそうでもあるのだが、この前の東山での滑落(まだ肋骨と指が完璧でない)を教訓に、君子危うきに近寄らずで引き返す。 すると何のことはない、右上に正規の登山道を発見。 またどこかで間違えていたのだ。 自分だけかも知れぬが、マイナーな山でよくやるロスト。 半時間ほど無駄なルーファイをし、体力を奪われる。 ショートコース、低山を舐めてかかってはいけない。 いつもこうした山でミスが多いと自分に言い聞かせる。 下山時に登りやすく安全なルートに誘導するように、マップ上のコメントとピンクテープを残しておいた。 尾根に出るまでは霧も濃くじめじめとして暗い山歩きだったが、ナベクボ峠を通り過ぎて一旦、稜線に取り付くと雨雲越しに夏を待ち侘びてる光の明るさで、ブナの新緑が幻想的に輝き始めて爽快な気分を取り戻せた。 そして16歳の頃から今でもずっと大好きなヘルマン・ヘッセの、これまた1番心に残っていて暗唱できる詩を、ひとり心の中でつぶやいていた。  霧の中   ヘルマン・ヘッセ詩 高橋健二訳   不思議だ、霧の中を歩くのは! どの茂みも石も孤独だ、 どの木にも他の木は見えない。 みんなひとりぽっちだ。 私の生活がまだ明るかったころ、 私にとって世界は友だちにあふれていた。 いま、霧がおりると、 だれももう見えない。 ほんとうに、自分をすべてのものから 逆らいようもなく、そっとへだてる 暗さを知らないものは、 賢くはないのだ。 不思議だ、霧の中を歩くのは! 人生(いきる)とは孤独であることだ。 だれも他の人を知らない。 みんなひとりぽっちだ。 ここまで。 里から遠く、世間から離れ、コロナ禍も忘れ、誰ともすれ違わず隔離された、まさしく霧の中のそんな状態の山歩き。 でも孤独でありながら孤独ではない。 何故なら山との、自然との一体感を感じるからだ。 山がなければ山を歩けない。 何を当たり前のことを言うかと笑うことなかれ。 大地がなければ森も緑も空気も人も文明も科学も存在せず、すべての命は無いのだから。 さて、天候もあり、景色はスタート地点から頂上まで何も見えなかったが、途中から降り始めた雨を、終始新緑が傘となって守ってくれた。 今日も雨や道に迷ったことさえ経験、明日への糧、そんなすべてに感謝。 ちなみに、細い林道を車走らせた後のまさかの広々とした大駐車場には感動した。

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