鶴寝山・奈良倉山~霞富士~

2021.05.08(土) 日帰り

活動データ

タイム

07:31

距離

16.6km

上り

1290m

下り

1291m

チェックポイント

DAY 1
合計時間
7 時間 31
休憩時間
1 時間 12
距離
16.6 km
上り / 下り
1290 / 1291 m
2 9
10
32
1 54
22
1 53

活動詳細

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石坂浩二の声で再生してください。  小菅村は奥多摩のさらに奥にある人口が700人に満たない村である。この村には大菩薩峠、三頭山などが属している。  2015年にオープンした道の駅こすげから歩き始めた。最初は沢伝いの道。奥の方に清流を利用した山葵畑があった。ただその半分以上は放棄されたもので、水も張られていない。高齢化が進み、管理していた所有者が亡くなり、遺族が山葵栽培を引き継がなかったのかもしれない。  山葵田が終わると登山道らしく傾斜が少しきつくなった。植林されているのはスギではなくヒノキ。早朝の空気にヒノキの香りが漂い、姿の見えない鳥たちの声が降り注ぐ。  谷を渡ってから広葉樹の樹林帯に変化する。そして尾根に上がるとこの日初めて人に出会った。男女二人は大菩薩峠方面に向かうようである。お互いに安全を誓い合い別れた。  鶴寝山までは心地よい新緑の尾根道が続く。鶴寝山への道標を目にした後、ちょっとした登りになる。短い斜面を息を弾ませ登りきると猫の額ほどの広さの小さな平地。木のベンチがあった。更に進むと下りの急斜面になり一気に下る。急斜面が終わり、次の道標があった。なんと、鶴寝山の方向が戻る方向を指している。山頂標識を見落とし、とうの昔に鶴寝山を通り過ぎていたのである。  登り返しはせずに松姫峠に着いた。ここで最初の富士との対面。左の裾野が隠れているが、雪を頂く山頂が良く見える。ここには数台分の駐車スペースがあるので、地元の人が富士を見るために訪れていた。松姫峠の名は、戦国時代、武田氏滅亡の折、武田信玄の五女松姫がこの峠を越えたという伝承からついたという。月夜の晩に幾人かのお供の者を連れて落ち伸びるとき、この峠で月影に浮ぶ富士を見たとしたら、彼女は何を思っただろうか。  林道を交えた登山道を通り抜け、目的地の奈良倉山に着いた。立木に囲まれた木陰の山頂に先客は誰もいない。見渡すと一部分だけが木が切り倒され、明るくなっている。そこに、「奈良倉山展望台」と書かれた手作りの小さな看板が見えた。看板に近付いてみると今度は大きな富士が現れた。大分霞んでいる。富士の左手前に杓子山、倉見山、右に三ツ峠山、御巣鷹山も薄っすら見えた。  日なたに設置されている丸太に腰掛け昼食の準備に取り掛かる。すると耳元でブーンブーンと羽音がし始めた。数匹のアブが周りを旋回している。でも、もう後には引けない。時々手を振り回してアブを遠ざけながら、いくつか荷物を取り出した頃、一組の夫婦が山頂にやってきた。二人は日陰にある丸太に腰掛け、富士を見ながら一休み。そちらはアブが少ないらしい。二人が普通に世間話をしている前で、執拗なアブとの格闘は続いたのである。  奈良倉山を後にし、松姫峠を越えて鶴寝山に登り返した。今度は富士を拝むことができた。しかし、奈良倉山で見た時より霞み具合がいっそう強くなっている。この日大陸からのPM2.5が大変多いと予報されていた。  ここでは木のベンチに座って富士山を眺められる。虫も少ないようである。帰り道の鶴寝山で昼食にすれば良かったのかもしれない。  鶴寝山までの登りでは「日なたの道」を通ったが、下山では「巨樹の道」を通る。なるほどブナの大木が多い。大木は人の心を慰撫する。巨樹たちは、いったい何人の人々を癒してきたのだろう。  道の駅こすげに着いて短い旅は終わった。旅人は温泉には浸からず、駐車場を後にした。

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