侘びながらハシゴ岳(梅竜寺山・安桜山・大洞山・山王山・まるまる山・松尾山)〜たまニャア、なあ良いさ🥸

2021.05.08(土) 日帰り

岐阜県関市は2005(平成17)年2月7日に旧武儀郡の洞戸村、板取村、武芸川町、武儀町と上之保村が編入合併しました。🗺 それまでの関市にある最高峰がどこだったのか今となってはどうでも良いことだが、差し詰め高沢山か関アルプス(各務原アルプス)と言ったところだろう。現在の最高峰は高賀山(1224メートル)で、もともとは高賀岳と言われるほど険しい山岳地帯であったようだ。🏞️ そのため、平安時代に白山開山で有名な最澄(767?~822年)により修験の地として見出され開山。江戸時代前期の円空(1632~1695)もここで修業するなど修験道の盛んな土地となる。🏔 ところで、これだけ口上を述べたのだから、当然関市の最高峰のレポかと思いきや、今回は旧関市の市街地近くにある低山巡りの行程です。😅 関善光寺を起点にその周辺の低山と歴史の街をノンビリとハシゴして来ました。🥢🥢🥢🥢🥢🤔

関善光寺の駐車場に車と停めてスタート。⛷️

関善光寺の駐車場に車と停めてスタート。⛷️

関善光寺の駐車場に車と停めてスタート。⛷️

高貴な面構え。御高く留まって、プライドが高そうです。🤥

高貴な面構え。御高く留まって、プライドが高そうです。🤥

高貴な面構え。御高く留まって、プライドが高そうです。🤥

安桜山(あさくらやま)の展望台。後ほど行きます。🙋

安桜山(あさくらやま)の展望台。後ほど行きます。🙋

安桜山(あさくらやま)の展望台。後ほど行きます。🙋

先ずは南に有る梅竜寺山(ばいりゅうじさん)に向かいます。
シャッター街にも見える関市中心の商店街。昔は賑わったことでしょう。やってることはイオンモールやカラタン、モレラと変わりがないのですがね。😆

先ずは南に有る梅竜寺山(ばいりゅうじさん)に向かいます。 シャッター街にも見える関市中心の商店街。昔は賑わったことでしょう。やってることはイオンモールやカラタン、モレラと変わりがないのですがね。😆

先ずは南に有る梅竜寺山(ばいりゅうじさん)に向かいます。 シャッター街にも見える関市中心の商店街。昔は賑わったことでしょう。やってることはイオンモールやカラタン、モレラと変わりがないのですがね。😆

千年町通りと言うそうです。こちらは電柱が地中に埋設されてスッキリ見通しが良い。でも何となく殺風景に見えるのは私だけか…。😨

千年町通りと言うそうです。こちらは電柱が地中に埋設されてスッキリ見通しが良い。でも何となく殺風景に見えるのは私だけか…。😨

千年町通りと言うそうです。こちらは電柱が地中に埋設されてスッキリ見通しが良い。でも何となく殺風景に見えるのは私だけか…。😨

振り返ると安桜山とわかくさトンネル。トンネルを北へ抜けると関市役所などの官公庁エリアです。🏢🏬🏦

振り返ると安桜山とわかくさトンネル。トンネルを北へ抜けると関市役所などの官公庁エリアです。🏢🏬🏦

振り返ると安桜山とわかくさトンネル。トンネルを北へ抜けると関市役所などの官公庁エリアです。🏢🏬🏦

春日町にある春日神社の鳥居と太鼓堂です。春日神社は奈良の春日大社を招請(しょうせい/頼んで来て貰う)したものだそうです。⛩
安桜山の北側に「わかくさ」という地域が有るが、案外、安桜山を若草山に見立てた古都奈良の春日大社をイメージした配置を考えたのかも知れませんね。🤔

春日町にある春日神社の鳥居と太鼓堂です。春日神社は奈良の春日大社を招請(しょうせい/頼んで来て貰う)したものだそうです。⛩ 安桜山の北側に「わかくさ」という地域が有るが、案外、安桜山を若草山に見立てた古都奈良の春日大社をイメージした配置を考えたのかも知れませんね。🤔

春日町にある春日神社の鳥居と太鼓堂です。春日神社は奈良の春日大社を招請(しょうせい/頼んで来て貰う)したものだそうです。⛩ 安桜山の北側に「わかくさ」という地域が有るが、案外、安桜山を若草山に見立てた古都奈良の春日大社をイメージした配置を考えたのかも知れませんね。🤔

安桜山のわかくさトンネルから通じる千年町通りを南にくだり、長良川鉄道の踏切を越えたら東に進路を変えます。こんもりした山はその姿の通りの名前は一ツ山。⛰
関市の名前の由来となった濃州関所はこの辺りに有ったそうだ。100メートルに満たない小高い丘のような山が造成され宅地にならずに残されたのには理由が有るようです。🥸

安桜山のわかくさトンネルから通じる千年町通りを南にくだり、長良川鉄道の踏切を越えたら東に進路を変えます。こんもりした山はその姿の通りの名前は一ツ山。⛰ 関市の名前の由来となった濃州関所はこの辺りに有ったそうだ。100メートルに満たない小高い丘のような山が造成され宅地にならずに残されたのには理由が有るようです。🥸

安桜山のわかくさトンネルから通じる千年町通りを南にくだり、長良川鉄道の踏切を越えたら東に進路を変えます。こんもりした山はその姿の通りの名前は一ツ山。⛰ 関市の名前の由来となった濃州関所はこの辺りに有ったそうだ。100メートルに満たない小高い丘のような山が造成され宅地にならずに残されたのには理由が有るようです。🥸

一ッ山から東へ少し離れた場所にある、梅竜寺山へ。山名の由来となっている梅竜寺の墓地から登ります。🛕

一ッ山から東へ少し離れた場所にある、梅竜寺山へ。山名の由来となっている梅竜寺の墓地から登ります。🛕

一ッ山から東へ少し離れた場所にある、梅竜寺山へ。山名の由来となっている梅竜寺の墓地から登ります。🛕

江戸時代の初期、現在の関市一帯は水利の便が悪く、水不足に悩まされたそうだ。1663年(寛文3年)、この地に移住してきた尾張藩の浪人喜田吉右衛門と弟の林幽閑、地元の豪農の柴山伊兵衛は、長良川から水を引く曽代用水(そだいようすい)を計画。👷
三氏は私財を投じ、10年の歳月を経ておよそ17キロメートルわたる農業用水を引き、安桜山の北にある荒れ地を美しい田園に生まれ変わらせたそうだ。
三氏の碑は別に有るようですが、喜田吉右衛門のお墓がここに有りました。

江戸時代の初期、現在の関市一帯は水利の便が悪く、水不足に悩まされたそうだ。1663年(寛文3年)、この地に移住してきた尾張藩の浪人喜田吉右衛門と弟の林幽閑、地元の豪農の柴山伊兵衛は、長良川から水を引く曽代用水(そだいようすい)を計画。👷 三氏は私財を投じ、10年の歳月を経ておよそ17キロメートルわたる農業用水を引き、安桜山の北にある荒れ地を美しい田園に生まれ変わらせたそうだ。 三氏の碑は別に有るようですが、喜田吉右衛門のお墓がここに有りました。

江戸時代の初期、現在の関市一帯は水利の便が悪く、水不足に悩まされたそうだ。1663年(寛文3年)、この地に移住してきた尾張藩の浪人喜田吉右衛門と弟の林幽閑、地元の豪農の柴山伊兵衛は、長良川から水を引く曽代用水(そだいようすい)を計画。👷 三氏は私財を投じ、10年の歳月を経ておよそ17キロメートルわたる農業用水を引き、安桜山の北にある荒れ地を美しい田園に生まれ変わらせたそうだ。 三氏の碑は別に有るようですが、喜田吉右衛門のお墓がここに有りました。

墓地の最上段から安桜山方面。奥に天王山と誕生山が見える。
この下に朝倉という地区がある。織田信長と対峙していた朝倉氏はもともと但馬(兵庫)から越前(福井)へ来たそうだ。越前朝倉氏とこことの関係については判らないが、この地の安桜山(あさくらやま)は案外、織田氏への配慮から朝倉から変化したものなのかも知れない。🤔

墓地の最上段から安桜山方面。奥に天王山と誕生山が見える。 この下に朝倉という地区がある。織田信長と対峙していた朝倉氏はもともと但馬(兵庫)から越前(福井)へ来たそうだ。越前朝倉氏とこことの関係については判らないが、この地の安桜山(あさくらやま)は案外、織田氏への配慮から朝倉から変化したものなのかも知れない。🤔

墓地の最上段から安桜山方面。奥に天王山と誕生山が見える。 この下に朝倉という地区がある。織田信長と対峙していた朝倉氏はもともと但馬(兵庫)から越前(福井)へ来たそうだ。越前朝倉氏とこことの関係については判らないが、この地の安桜山(あさくらやま)は案外、織田氏への配慮から朝倉から変化したものなのかも知れない。🤔

山頂へはお遍路にもなっているようです。🙏

山頂へはお遍路にもなっているようです。🙏

山頂へはお遍路にもなっているようです。🙏

間もなく山頂三角点。⛰

間もなく山頂三角点。⛰

間もなく山頂三角点。⛰

ここから東の方へ降りてみました。🙄

ここから東の方へ降りてみました。🙄

ここから東の方へ降りてみました。🙄

途中見晴らしの良い場所も。南の各務原方面。関アルプス(各務原アルプス)と左へ迫間山、城山(猿啄城)になる。🤨

途中見晴らしの良い場所も。南の各務原方面。関アルプス(各務原アルプス)と左へ迫間山、城山(猿啄城)になる。🤨

途中見晴らしの良い場所も。南の各務原方面。関アルプス(各務原アルプス)と左へ迫間山、城山(猿啄城)になる。🤨

東側に尖った岩が…。😅

東側に尖った岩が…。😅

東側に尖った岩が…。😅

播隆さま~っ!槍の道のりは険しゅうございますぞ~っ!!!😆

播隆さま~っ!槍の道のりは険しゅうございますぞ~っ!!!😆

播隆さま~っ!槍の道のりは険しゅうございますぞ~っ!!!😆

ここから降りる道が見つかりません。😟

ここから降りる道が見つかりません。😟

ここから降りる道が見つかりません。😟

直ぐ近くに民家の屋根が見えるのですが、やはり道がありません。強行突破で民家の裏庭に降りて、即通報ではシャレになりませんから迂回路を探します。👮🥷

直ぐ近くに民家の屋根が見えるのですが、やはり道がありません。強行突破で民家の裏庭に降りて、即通報ではシャレになりませんから迂回路を探します。👮🥷

直ぐ近くに民家の屋根が見えるのですが、やはり道がありません。強行突破で民家の裏庭に降りて、即通報ではシャレになりませんから迂回路を探します。👮🥷

迂回して北側に回ってみます。🥷

迂回して北側に回ってみます。🥷

迂回して北側に回ってみます。🥷

急に開けた場所に出ました。🥷

急に開けた場所に出ました。🥷

急に開けた場所に出ました。🥷

長良川鉄道の横に出ました。🥷

長良川鉄道の横に出ました。🥷

長良川鉄道の横に出ました。🥷

鉄道との境界が判らない…。👷

鉄道との境界が判らない…。👷

鉄道との境界が判らない…。👷

東側に有る白山神社に回ってみました。🤨

東側に有る白山神社に回ってみました。🤨

東側に有る白山神社に回ってみました。🤨

先ほどよじ登った岩場が…。こんなに近かったのか…。民家に見えたのは神社だったようです。とは言えこの神社からの入山口は有りませんでした。🤔

先ほどよじ登った岩場が…。こんなに近かったのか…。民家に見えたのは神社だったようです。とは言えこの神社からの入山口は有りませんでした。🤔

先ほどよじ登った岩場が…。こんなに近かったのか…。民家に見えたのは神社だったようです。とは言えこの神社からの入山口は有りませんでした。🤔

長良川鉄道の踏切を越えて安桜山を目指します。🚃

長良川鉄道の踏切を越えて安桜山を目指します。🚃

長良川鉄道の踏切を越えて安桜山を目指します。🚃

古い街道の交わった場所へ。😌

古い街道の交わった場所へ。😌

古い街道の交わった場所へ。😌

歴史の有りそうな「五二堂」という店。側面のくすりの文字と、正面のSHISEIDO・KOSEで薬局兼雑貨のようだ。今では当たり前のスタイルだが、ある意味時代を先取りしてますな〜!実際、現在よく見かけるゲンキー(福井市)、くすりのアオキ(石川県白山市)、オークワ(和歌山県)なども地方から徐々にエリアと規模を広げて現在に至る。キッカケが有れば地方から全国区の大企業になる可能性も有りますよね。☺️

歴史の有りそうな「五二堂」という店。側面のくすりの文字と、正面のSHISEIDO・KOSEで薬局兼雑貨のようだ。今では当たり前のスタイルだが、ある意味時代を先取りしてますな〜!実際、現在よく見かけるゲンキー(福井市)、くすりのアオキ(石川県白山市)、オークワ(和歌山県)なども地方から徐々にエリアと規模を広げて現在に至る。キッカケが有れば地方から全国区の大企業になる可能性も有りますよね。☺️

歴史の有りそうな「五二堂」という店。側面のくすりの文字と、正面のSHISEIDO・KOSEで薬局兼雑貨のようだ。今では当たり前のスタイルだが、ある意味時代を先取りしてますな〜!実際、現在よく見かけるゲンキー(福井市)、くすりのアオキ(石川県白山市)、オークワ(和歌山県)なども地方から徐々にエリアと規模を広げて現在に至る。キッカケが有れば地方から全国区の大企業になる可能性も有りますよね。☺️

余談ですが、岐阜地区でお馴染みの「カルコス」は旧武芸川町の雑貨店が書店として岐阜地区に進出した。「カルチャー&コスメ」がその名の由来だそうだ。😅

余談ですが、岐阜地区でお馴染みの「カルコス」は旧武芸川町の雑貨店が書店として岐阜地区に進出した。「カルチャー&コスメ」がその名の由来だそうだ。😅

余談ですが、岐阜地区でお馴染みの「カルコス」は旧武芸川町の雑貨店が書店として岐阜地区に進出した。「カルチャー&コスメ」がその名の由来だそうだ。😅

レンガを敷き詰めた明るい雰囲気の通り。誰も居ないのが勿体無い気もする。😟
こんなお店も有ったりと…。良い雰囲気なんですがね。

レンガを敷き詰めた明るい雰囲気の通り。誰も居ないのが勿体無い気もする。😟 こんなお店も有ったりと…。良い雰囲気なんですがね。

レンガを敷き詰めた明るい雰囲気の通り。誰も居ないのが勿体無い気もする。😟 こんなお店も有ったりと…。良い雰囲気なんですがね。

この後は安桜山を目指して関市内北を進みます。🙋

この後は安桜山を目指して関市内北を進みます。🙋

この後は安桜山を目指して関市内北を進みます。🙋

鳶(とんび)も優雅に舞ってます。🦅

鳶(とんび)も優雅に舞ってます。🦅

鳶(とんび)も優雅に舞ってます。🦅

鳥葬の風習が有る訳ではありません。😵‍💫

鳥葬の風習が有る訳ではありません。😵‍💫

鳥葬の風習が有る訳ではありません。😵‍💫

安桜山から尾根続きの観音山。英霊碑が位牌のよう…。🎌

安桜山から尾根続きの観音山。英霊碑が位牌のよう…。🎌

安桜山から尾根続きの観音山。英霊碑が位牌のよう…。🎌

東の端から登り始めます。

東の端から登り始めます。

東の端から登り始めます。

間もなく観音山へ。😅

間もなく観音山へ。😅

間もなく観音山へ。😅

更に西の安桜山を目指します。

更に西の安桜山を目指します。

更に西の安桜山を目指します。

ちょこっとハイキングには良い感じ。😃

ちょこっとハイキングには良い感じ。😃

ちょこっとハイキングには良い感じ。😃

ここから御嶽山を祀ってあるようです。🙏

ここから御嶽山を祀ってあるようです。🙏

ここから御嶽山を祀ってあるようです。🙏

御嶽山の紋章、山丸三(さんまるさん)マーク😅

御嶽山の紋章、山丸三(さんまるさん)マーク😅

御嶽山の紋章、山丸三(さんまるさん)マーク😅

途中の見晴台から。正面に先程登った梅竜寺山。右の三角が一ツ山。その手前が春日神社。奥に関アルプス(各務原アルプス)が見えます。
低山が海に浮かぶ島のよう。😌🌊

途中の見晴台から。正面に先程登った梅竜寺山。右の三角が一ツ山。その手前が春日神社。奥に関アルプス(各務原アルプス)が見えます。 低山が海に浮かぶ島のよう。😌🌊

途中の見晴台から。正面に先程登った梅竜寺山。右の三角が一ツ山。その手前が春日神社。奥に関アルプス(各務原アルプス)が見えます。 低山が海に浮かぶ島のよう。😌🌊

安桜山山頂です。⛰

安桜山山頂です。⛰

安桜山山頂です。⛰

御幣の形取った御嶽大神の碑です。🙏

御幣の形取った御嶽大神の碑です。🙏

御幣の形取った御嶽大神の碑です。🙏

その裏辺りに三角点▲

その裏辺りに三角点▲

その裏辺りに三角点▲

少し行った場所に新設の展望台が有ります。🔭

少し行った場所に新設の展望台が有ります。🔭

少し行った場所に新設の展望台が有ります。🔭

鉄筋の頑丈な造りです。👷

鉄筋の頑丈な造りです。👷

鉄筋の頑丈な造りです。👷

新しい試みも👍

新しい試みも👍

新しい試みも👍

展望台から、先ほど歩いた千年通りが見えます。春日神社に一ツ山と続きます。🙄

展望台から、先ほど歩いた千年通りが見えます。春日神社に一ツ山と続きます。🙄

展望台から、先ほど歩いた千年通りが見えます。春日神社に一ツ山と続きます。🙄

北の方角。天王山、誕生山、右にソンブレロ松鞍山と美濃市古城山。今日は黄砂で真っ白なんで、遠くの山は望めません。高賀山、瓢ヶ岳はボヤケていますな~。白山は全く見えません。😂

北の方角。天王山、誕生山、右にソンブレロ松鞍山と美濃市古城山。今日は黄砂で真っ白なんで、遠くの山は望めません。高賀山、瓢ヶ岳はボヤケていますな~。白山は全く見えません。😂

北の方角。天王山、誕生山、右にソンブレロ松鞍山と美濃市古城山。今日は黄砂で真っ白なんで、遠くの山は望めません。高賀山、瓢ヶ岳はボヤケていますな~。白山は全く見えません。😂

西の方角も真っ白。🙃

西の方角も真っ白。🙃

西の方角も真っ白。🙃

関城は道三の孫の斎藤龍興の重臣である長井道利(長井隼人)が城主をつとめていた城。織田信長による東美濃侵攻の際に加冶田城、堂洞城が落城と共に陥落、廃城となる。🥸

関城は道三の孫の斎藤龍興の重臣である長井道利(長井隼人)が城主をつとめていた城。織田信長による東美濃侵攻の際に加冶田城、堂洞城が落城と共に陥落、廃城となる。🥸

関城は道三の孫の斎藤龍興の重臣である長井道利(長井隼人)が城主をつとめていた城。織田信長による東美濃侵攻の際に加冶田城、堂洞城が落城と共に陥落、廃城となる。🥸

先週行った松鞍山が見えます。🤠

先週行った松鞍山が見えます。🤠

先週行った松鞍山が見えます。🤠

関市役所など北側は官公庁エリア。奥に曽代用水がもたらした田園風景が広がる。🤩

関市役所など北側は官公庁エリア。奥に曽代用水がもたらした田園風景が広がる。🤩

関市役所など北側は官公庁エリア。奥に曽代用水がもたらした田園風景が広がる。🤩

遠くの金華山も白く霞んでます。🔭

遠くの金華山も白く霞んでます。🔭

遠くの金華山も白く霞んでます。🔭

この後に向かう山王山、まるまる山、松尾山。真ん中のビルは関信用金庫の本店です。🙋

この後に向かう山王山、まるまる山、松尾山。真ん中のビルは関信用金庫の本店です。🙋

この後に向かう山王山、まるまる山、松尾山。真ん中のビルは関信用金庫の本店です。🙋

山の反対側へ下山します。桐の花が美しい🐽

山の反対側へ下山します。桐の花が美しい🐽

山の反対側へ下山します。桐の花が美しい🐽

山の反対側は、わかくさトンネルの横に出て来ました。🤔

山の反対側は、わかくさトンネルの横に出て来ました。🤔

山の反対側は、わかくさトンネルの横に出て来ました。🤔

次は山王山、まるまる山、松尾山を目指します。😃

次は山王山、まるまる山、松尾山を目指します。😃

次は山王山、まるまる山、松尾山を目指します。😃

山王山とまるまる山、松尾山も尾根続きなので、東の端の向山神社から取り付きます。😋

山王山とまるまる山、松尾山も尾根続きなので、東の端の向山神社から取り付きます。😋

山王山とまるまる山、松尾山も尾根続きなので、東の端の向山神社から取り付きます。😋

国道156号線沿いにあり、関市から美濃市の境界に有ります。普段は素通りするだけの神社ですが落ち着いた雰囲気の良い感じ。👍

国道156号線沿いにあり、関市から美濃市の境界に有ります。普段は素通りするだけの神社ですが落ち着いた雰囲気の良い感じ。👍

国道156号線沿いにあり、関市から美濃市の境界に有ります。普段は素通りするだけの神社ですが落ち着いた雰囲気の良い感じ。👍

奥に山王山への案内標識が有りました。🙋

奥に山王山への案内標識が有りました。🙋

奥に山王山への案内標識が有りました。🙋

竹が間伐され、陽光が差す明るい雰囲気の登山道です。とても綺麗に整備されていました。🤩

竹が間伐され、陽光が差す明るい雰囲気の登山道です。とても綺麗に整備されていました。🤩

竹が間伐され、陽光が差す明るい雰囲気の登山道です。とても綺麗に整備されていました。🤩

ここもお遍路のようです。🙏

ここもお遍路のようです。🙏

ここもお遍路のようです。🙏

程なく、山頂に到着。🏁

程なく、山頂に到着。🏁

程なく、山頂に到着。🏁

最近、このエリアの低山で目にします。😅

最近、このエリアの低山で目にします。😅

最近、このエリアの低山で目にします。😅

隣のまるまる山。程よい低山で小さな子供連れの家族で賑わっていました。😉

隣のまるまる山。程よい低山で小さな子供連れの家族で賑わっていました。😉

隣のまるまる山。程よい低山で小さな子供連れの家族で賑わっていました。😉

辺りの木々を伐採し、眺望スペースも設けて有ります。🙆

辺りの木々を伐採し、眺望スペースも設けて有ります。🙆

辺りの木々を伐採し、眺望スペースも設けて有ります。🙆

本日は黄砂で白く霞んで見えませんが、名山も眺望出来るようです。🔭

本日は黄砂で白く霞んで見えませんが、名山も眺望出来るようです。🔭

本日は黄砂で白く霞んで見えませんが、名山も眺望出来るようです。🔭

近くの松鞍山。奥に古城山。🤠

近くの松鞍山。奥に古城山。🤠

近くの松鞍山。奥に古城山。🤠

まるまる山へ移動しましょう。

まるまる山へ移動しましょう。

まるまる山へ移動しましょう。

まるまる山に到着。奥に先ほどまで居た山王山が見えます。🙄

まるまる山に到着。奥に先ほどまで居た山王山が見えます。🙄

まるまる山に到着。奥に先ほどまで居た山王山が見えます。🙄

まるまる山からの眺望。左の安桜山と右の梅竜寺山です。🙋

まるまる山からの眺望。左の安桜山と右の梅竜寺山です。🙋

まるまる山からの眺望。左の安桜山と右の梅竜寺山です。🙋

各務原市方面。真下を東海北陸自動車道のトンネルが貫いています。🚛🏎🚚

各務原市方面。真下を東海北陸自動車道のトンネルが貫いています。🚛🏎🚚

各務原市方面。真下を東海北陸自動車道のトンネルが貫いています。🚛🏎🚚

松尾山に向かいましょう。途中の長良川展望台。ここも小さなお子様連れが多かった。😉

松尾山に向かいましょう。途中の長良川展望台。ここも小さなお子様連れが多かった。😉

松尾山に向かいましょう。途中の長良川展望台。ここも小さなお子様連れが多かった。😉

展望台から。長良川と東海北陸自動車道。奥に天王山と誕生山が見えます。🚛🏎🚚

展望台から。長良川と東海北陸自動車道。奥に天王山と誕生山が見えます。🚛🏎🚚

展望台から。長良川と東海北陸自動車道。奥に天王山と誕生山が見えます。🚛🏎🚚

金華山の方角。この下は小瀬と言われる地域で、金華山の麓で行う岐阜市の鵜飼とは一線を画した関の鵜飼が催されます。🐧

金華山の方角。この下は小瀬と言われる地域で、金華山の麓で行う岐阜市の鵜飼とは一線を画した関の鵜飼が催されます。🐧

金華山の方角。この下は小瀬と言われる地域で、金華山の麓で行う岐阜市の鵜飼とは一線を画した関の鵜飼が催されます。🐧

尾根を縦走したので下山します。😅

尾根を縦走したので下山します。😅

尾根を縦走したので下山します。😅

松尾山山頂から。💁
手前の大洞山、左の安桜山、奥に梅竜寺山。遠くの関アルプス(各務原アルプス)。

松尾山山頂から。💁 手前の大洞山、左の安桜山、奥に梅竜寺山。遠くの関アルプス(各務原アルプス)。

松尾山山頂から。💁 手前の大洞山、左の安桜山、奥に梅竜寺山。遠くの関アルプス(各務原アルプス)。

安桜山を目指して帰ります。😊

安桜山を目指して帰ります。😊

安桜山を目指して帰ります。😊

美濃西国33観音霊場の臨済宗の永昌寺の裏手に出ました。🛕

美濃西国33観音霊場の臨済宗の永昌寺の裏手に出ました。🛕

美濃西国33観音霊場の臨済宗の永昌寺の裏手に出ました。🛕

途中、下有知の曽代(曾代/そだい)用水を渡ります。現在は両岸をコンクリートで固められ、いまだに現役で活躍しています。遥か美濃市から延びる用水は世界かんがい施設遺産にも登録され、当時の偉業を讃えている。😃

途中、下有知の曽代(曾代/そだい)用水を渡ります。現在は両岸をコンクリートで固められ、いまだに現役で活躍しています。遥か美濃市から延びる用水は世界かんがい施設遺産にも登録され、当時の偉業を讃えている。😃

途中、下有知の曽代(曾代/そだい)用水を渡ります。現在は両岸をコンクリートで固められ、いまだに現役で活躍しています。遥か美濃市から延びる用水は世界かんがい施設遺産にも登録され、当時の偉業を讃えている。😃

安桜山まで戻って来ました。ここは水道山と呼ばれているようです。水タンクが由来する良く聞く名前ですが、安桜山の一部です。🚰

安桜山まで戻って来ました。ここは水道山と呼ばれているようです。水タンクが由来する良く聞く名前ですが、安桜山の一部です。🚰

安桜山まで戻って来ました。ここは水道山と呼ばれているようです。水タンクが由来する良く聞く名前ですが、安桜山の一部です。🚰

こちらの登り口は階段でした。😅

こちらの登り口は階段でした。😅

こちらの登り口は階段でした。😅

安桜山への分岐。山頂へは行かず、ここで下山します。🙋

安桜山への分岐。山頂へは行かず、ここで下山します。🙋

安桜山への分岐。山頂へは行かず、ここで下山します。🙋

安桜山の展望台が見えます。

安桜山の展望台が見えます。

安桜山の展望台が見えます。

チャート地層の横の階段を下ります。😊

チャート地層の横の階段を下ります。😊

チャート地層の横の階段を下ります。😊

関善光寺の裏山になります。🙏

関善光寺の裏山になります。🙏

関善光寺の裏山になります。🙏

関善光寺の鐘撞き堂です。

関善光寺の鐘撞き堂です。

関善光寺の鐘撞き堂です。

本堂が見えて来ました。朝のスタート時とは違って沢山の人が参拝に訪れていました。😅

本堂が見えて来ました。朝のスタート時とは違って沢山の人が参拝に訪れていました。😅

本堂が見えて来ました。朝のスタート時とは違って沢山の人が参拝に訪れていました。😅

関善光寺はもともと宗休寺であったそうです。
甲斐の武田信玄が倒れ、武田氏が衰退・滅亡。その家臣の広瀬利広がこの地に逃げ延び、移り住んだことに端を発します。五代目の広瀬新太郎利忠は、先祖の菩提を弔う一寺建立の理想を胸に日々精進します。🥸

関善光寺はもともと宗休寺であったそうです。 甲斐の武田信玄が倒れ、武田氏が衰退・滅亡。その家臣の広瀬利広がこの地に逃げ延び、移り住んだことに端を発します。五代目の広瀬新太郎利忠は、先祖の菩提を弔う一寺建立の理想を胸に日々精進します。🥸

関善光寺はもともと宗休寺であったそうです。 甲斐の武田信玄が倒れ、武田氏が衰退・滅亡。その家臣の広瀬利広がこの地に逃げ延び、移り住んだことに端を発します。五代目の広瀬新太郎利忠は、先祖の菩提を弔う一寺建立の理想を胸に日々精進します。🥸

しかしこの時代の新しいお寺の建立はご法度。そこで利忠は庵室を一寺とする奇策を廃寺に求めます。そして不破郡青墓村の円興寺の末寺で竹本院と言う無檀家の廃寺の情報を聞き、公儀である寺社奉行から引寺の許しを得たそうです。🥸

しかしこの時代の新しいお寺の建立はご法度。そこで利忠は庵室を一寺とする奇策を廃寺に求めます。そして不破郡青墓村の円興寺の末寺で竹本院と言う無檀家の廃寺の情報を聞き、公儀である寺社奉行から引寺の許しを得たそうです。🥸

しかしこの時代の新しいお寺の建立はご法度。そこで利忠は庵室を一寺とする奇策を廃寺に求めます。そして不破郡青墓村の円興寺の末寺で竹本院と言う無檀家の廃寺の情報を聞き、公儀である寺社奉行から引寺の許しを得たそうです。🥸

その後、可児郡御嵩町にある願興寺の世話で、寺社に必要な装備を整え現在に至るようです。余談ですが信濃善光寺は、現在のように仏教が各宗派に分かれる前に有ったため、無宗派のお寺であったことが血脈(系譜)を得るきっかけとなったようです。お伊勢参りの帰りには「牛に引かれて善光寺詣り」「遠くとも一度は詣れ善光寺」と言われるほど庶民に人気で、全てにおいて寛大なのでしょう。
ところで、寺社昇格の助けとなった御嵩町の願興寺は戦国時代に武田軍から2度焼き討ちに遭っているそうだ。その遺恨は無かったのか…巡り合わせというのは実に奇異である。
本日もお疲れ山!🥸🤠🤨

その後、可児郡御嵩町にある願興寺の世話で、寺社に必要な装備を整え現在に至るようです。余談ですが信濃善光寺は、現在のように仏教が各宗派に分かれる前に有ったため、無宗派のお寺であったことが血脈(系譜)を得るきっかけとなったようです。お伊勢参りの帰りには「牛に引かれて善光寺詣り」「遠くとも一度は詣れ善光寺」と言われるほど庶民に人気で、全てにおいて寛大なのでしょう。 ところで、寺社昇格の助けとなった御嵩町の願興寺は戦国時代に武田軍から2度焼き討ちに遭っているそうだ。その遺恨は無かったのか…巡り合わせというのは実に奇異である。 本日もお疲れ山!🥸🤠🤨

その後、可児郡御嵩町にある願興寺の世話で、寺社に必要な装備を整え現在に至るようです。余談ですが信濃善光寺は、現在のように仏教が各宗派に分かれる前に有ったため、無宗派のお寺であったことが血脈(系譜)を得るきっかけとなったようです。お伊勢参りの帰りには「牛に引かれて善光寺詣り」「遠くとも一度は詣れ善光寺」と言われるほど庶民に人気で、全てにおいて寛大なのでしょう。 ところで、寺社昇格の助けとなった御嵩町の願興寺は戦国時代に武田軍から2度焼き討ちに遭っているそうだ。その遺恨は無かったのか…巡り合わせというのは実に奇異である。 本日もお疲れ山!🥸🤠🤨

関善光寺の駐車場に車と停めてスタート。⛷️

高貴な面構え。御高く留まって、プライドが高そうです。🤥

安桜山(あさくらやま)の展望台。後ほど行きます。🙋

先ずは南に有る梅竜寺山(ばいりゅうじさん)に向かいます。 シャッター街にも見える関市中心の商店街。昔は賑わったことでしょう。やってることはイオンモールやカラタン、モレラと変わりがないのですがね。😆

千年町通りと言うそうです。こちらは電柱が地中に埋設されてスッキリ見通しが良い。でも何となく殺風景に見えるのは私だけか…。😨

振り返ると安桜山とわかくさトンネル。トンネルを北へ抜けると関市役所などの官公庁エリアです。🏢🏬🏦

春日町にある春日神社の鳥居と太鼓堂です。春日神社は奈良の春日大社を招請(しょうせい/頼んで来て貰う)したものだそうです。⛩ 安桜山の北側に「わかくさ」という地域が有るが、案外、安桜山を若草山に見立てた古都奈良の春日大社をイメージした配置を考えたのかも知れませんね。🤔

安桜山のわかくさトンネルから通じる千年町通りを南にくだり、長良川鉄道の踏切を越えたら東に進路を変えます。こんもりした山はその姿の通りの名前は一ツ山。⛰ 関市の名前の由来となった濃州関所はこの辺りに有ったそうだ。100メートルに満たない小高い丘のような山が造成され宅地にならずに残されたのには理由が有るようです。🥸

一ッ山から東へ少し離れた場所にある、梅竜寺山へ。山名の由来となっている梅竜寺の墓地から登ります。🛕

江戸時代の初期、現在の関市一帯は水利の便が悪く、水不足に悩まされたそうだ。1663年(寛文3年)、この地に移住してきた尾張藩の浪人喜田吉右衛門と弟の林幽閑、地元の豪農の柴山伊兵衛は、長良川から水を引く曽代用水(そだいようすい)を計画。👷 三氏は私財を投じ、10年の歳月を経ておよそ17キロメートルわたる農業用水を引き、安桜山の北にある荒れ地を美しい田園に生まれ変わらせたそうだ。 三氏の碑は別に有るようですが、喜田吉右衛門のお墓がここに有りました。

墓地の最上段から安桜山方面。奥に天王山と誕生山が見える。 この下に朝倉という地区がある。織田信長と対峙していた朝倉氏はもともと但馬(兵庫)から越前(福井)へ来たそうだ。越前朝倉氏とこことの関係については判らないが、この地の安桜山(あさくらやま)は案外、織田氏への配慮から朝倉から変化したものなのかも知れない。🤔

山頂へはお遍路にもなっているようです。🙏

間もなく山頂三角点。⛰

ここから東の方へ降りてみました。🙄

途中見晴らしの良い場所も。南の各務原方面。関アルプス(各務原アルプス)と左へ迫間山、城山(猿啄城)になる。🤨

東側に尖った岩が…。😅

播隆さま~っ!槍の道のりは険しゅうございますぞ~っ!!!😆

ここから降りる道が見つかりません。😟

直ぐ近くに民家の屋根が見えるのですが、やはり道がありません。強行突破で民家の裏庭に降りて、即通報ではシャレになりませんから迂回路を探します。👮🥷

迂回して北側に回ってみます。🥷

急に開けた場所に出ました。🥷

長良川鉄道の横に出ました。🥷

鉄道との境界が判らない…。👷

東側に有る白山神社に回ってみました。🤨

先ほどよじ登った岩場が…。こんなに近かったのか…。民家に見えたのは神社だったようです。とは言えこの神社からの入山口は有りませんでした。🤔

長良川鉄道の踏切を越えて安桜山を目指します。🚃

古い街道の交わった場所へ。😌

歴史の有りそうな「五二堂」という店。側面のくすりの文字と、正面のSHISEIDO・KOSEで薬局兼雑貨のようだ。今では当たり前のスタイルだが、ある意味時代を先取りしてますな〜!実際、現在よく見かけるゲンキー(福井市)、くすりのアオキ(石川県白山市)、オークワ(和歌山県)なども地方から徐々にエリアと規模を広げて現在に至る。キッカケが有れば地方から全国区の大企業になる可能性も有りますよね。☺️

余談ですが、岐阜地区でお馴染みの「カルコス」は旧武芸川町の雑貨店が書店として岐阜地区に進出した。「カルチャー&コスメ」がその名の由来だそうだ。😅

レンガを敷き詰めた明るい雰囲気の通り。誰も居ないのが勿体無い気もする。😟 こんなお店も有ったりと…。良い雰囲気なんですがね。

この後は安桜山を目指して関市内北を進みます。🙋

鳶(とんび)も優雅に舞ってます。🦅

鳥葬の風習が有る訳ではありません。😵‍💫

安桜山から尾根続きの観音山。英霊碑が位牌のよう…。🎌

東の端から登り始めます。

間もなく観音山へ。😅

更に西の安桜山を目指します。

ちょこっとハイキングには良い感じ。😃

ここから御嶽山を祀ってあるようです。🙏

御嶽山の紋章、山丸三(さんまるさん)マーク😅

途中の見晴台から。正面に先程登った梅竜寺山。右の三角が一ツ山。その手前が春日神社。奥に関アルプス(各務原アルプス)が見えます。 低山が海に浮かぶ島のよう。😌🌊

安桜山山頂です。⛰

御幣の形取った御嶽大神の碑です。🙏

その裏辺りに三角点▲

少し行った場所に新設の展望台が有ります。🔭

鉄筋の頑丈な造りです。👷

新しい試みも👍

展望台から、先ほど歩いた千年通りが見えます。春日神社に一ツ山と続きます。🙄

北の方角。天王山、誕生山、右にソンブレロ松鞍山と美濃市古城山。今日は黄砂で真っ白なんで、遠くの山は望めません。高賀山、瓢ヶ岳はボヤケていますな~。白山は全く見えません。😂

西の方角も真っ白。🙃

関城は道三の孫の斎藤龍興の重臣である長井道利(長井隼人)が城主をつとめていた城。織田信長による東美濃侵攻の際に加冶田城、堂洞城が落城と共に陥落、廃城となる。🥸

先週行った松鞍山が見えます。🤠

関市役所など北側は官公庁エリア。奥に曽代用水がもたらした田園風景が広がる。🤩

遠くの金華山も白く霞んでます。🔭

この後に向かう山王山、まるまる山、松尾山。真ん中のビルは関信用金庫の本店です。🙋

山の反対側へ下山します。桐の花が美しい🐽

山の反対側は、わかくさトンネルの横に出て来ました。🤔

次は山王山、まるまる山、松尾山を目指します。😃

山王山とまるまる山、松尾山も尾根続きなので、東の端の向山神社から取り付きます。😋

国道156号線沿いにあり、関市から美濃市の境界に有ります。普段は素通りするだけの神社ですが落ち着いた雰囲気の良い感じ。👍

奥に山王山への案内標識が有りました。🙋

竹が間伐され、陽光が差す明るい雰囲気の登山道です。とても綺麗に整備されていました。🤩

ここもお遍路のようです。🙏

程なく、山頂に到着。🏁

最近、このエリアの低山で目にします。😅

隣のまるまる山。程よい低山で小さな子供連れの家族で賑わっていました。😉

辺りの木々を伐採し、眺望スペースも設けて有ります。🙆

本日は黄砂で白く霞んで見えませんが、名山も眺望出来るようです。🔭

近くの松鞍山。奥に古城山。🤠

まるまる山へ移動しましょう。

まるまる山に到着。奥に先ほどまで居た山王山が見えます。🙄

まるまる山からの眺望。左の安桜山と右の梅竜寺山です。🙋

各務原市方面。真下を東海北陸自動車道のトンネルが貫いています。🚛🏎🚚

松尾山に向かいましょう。途中の長良川展望台。ここも小さなお子様連れが多かった。😉

展望台から。長良川と東海北陸自動車道。奥に天王山と誕生山が見えます。🚛🏎🚚

金華山の方角。この下は小瀬と言われる地域で、金華山の麓で行う岐阜市の鵜飼とは一線を画した関の鵜飼が催されます。🐧

尾根を縦走したので下山します。😅

松尾山山頂から。💁 手前の大洞山、左の安桜山、奥に梅竜寺山。遠くの関アルプス(各務原アルプス)。

安桜山を目指して帰ります。😊

美濃西国33観音霊場の臨済宗の永昌寺の裏手に出ました。🛕

途中、下有知の曽代(曾代/そだい)用水を渡ります。現在は両岸をコンクリートで固められ、いまだに現役で活躍しています。遥か美濃市から延びる用水は世界かんがい施設遺産にも登録され、当時の偉業を讃えている。😃

安桜山まで戻って来ました。ここは水道山と呼ばれているようです。水タンクが由来する良く聞く名前ですが、安桜山の一部です。🚰

こちらの登り口は階段でした。😅

安桜山への分岐。山頂へは行かず、ここで下山します。🙋

安桜山の展望台が見えます。

チャート地層の横の階段を下ります。😊

関善光寺の裏山になります。🙏

関善光寺の鐘撞き堂です。

本堂が見えて来ました。朝のスタート時とは違って沢山の人が参拝に訪れていました。😅

関善光寺はもともと宗休寺であったそうです。 甲斐の武田信玄が倒れ、武田氏が衰退・滅亡。その家臣の広瀬利広がこの地に逃げ延び、移り住んだことに端を発します。五代目の広瀬新太郎利忠は、先祖の菩提を弔う一寺建立の理想を胸に日々精進します。🥸

しかしこの時代の新しいお寺の建立はご法度。そこで利忠は庵室を一寺とする奇策を廃寺に求めます。そして不破郡青墓村の円興寺の末寺で竹本院と言う無檀家の廃寺の情報を聞き、公儀である寺社奉行から引寺の許しを得たそうです。🥸

その後、可児郡御嵩町にある願興寺の世話で、寺社に必要な装備を整え現在に至るようです。余談ですが信濃善光寺は、現在のように仏教が各宗派に分かれる前に有ったため、無宗派のお寺であったことが血脈(系譜)を得るきっかけとなったようです。お伊勢参りの帰りには「牛に引かれて善光寺詣り」「遠くとも一度は詣れ善光寺」と言われるほど庶民に人気で、全てにおいて寛大なのでしょう。 ところで、寺社昇格の助けとなった御嵩町の願興寺は戦国時代に武田軍から2度焼き討ちに遭っているそうだ。その遺恨は無かったのか…巡り合わせというのは実に奇異である。 本日もお疲れ山!🥸🤠🤨