乙女峠の受難✝️明治維新の闇

2021.05.05(水) 日帰り

活動データ

タイム

02:25

距離

4.7km

のぼり

217m

くだり

216m

チェックポイント

DAY 1
合計時間
2 時間 25
休憩時間
11
距離
4.7 km
のぼり / くだり
217 / 216 m
2 26

活動詳細

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⚠️登山リポートではありません⚠️ 島根・津和野といえば「山陰の小京都」と言われる風情ある街並みが売りですが、日本のキリスト教史にとって非常に大切な場所でもあります。 それが「乙女峠の受難」と呼ばれる殉教事件です。 幕末、開国によって西洋人が日本にやって来ましたが、そのとき長崎の隠れキリシタンが発見されました。 江戸時代初期にキリスト教が禁じられてから250年ほども信仰を守り続けてきた奇跡にキリスト教世界は驚嘆をもって歓迎しますが、明治新政府は神道を国の基礎に据え、キリスト教を禁じました。 これにより長崎・浦上のキリシタンたちが日本各地に移送されて改宗を迫られ、種々の拷問を受けました。 そのうちの一つが津和野の乙女峠で、食責めや氷責めなどの苛烈な拷問で37人が殉教。 こうした状況が当時新聞で欧米各国に報道され、開国間もない日本は猛烈なバッシングを受けます。 新政府の有名な「岩倉使節団」も、訪問先の国々で日本のキリシタンへの仕打ちを糾弾され、まともな交渉もできない有様だったといいます。 これを重く見た岩倉具視は海外から日本にキリシタンへの対応を緩めるよう命じたため、生き残った人たちは長崎の故郷に戻りました。 のちに乙女峠には小さな聖堂が建てられ、かつての悲劇を今に伝えています。 教科書には載っていない、明治維新の闇。 歴史とは何か、あらためて考えさせられました。

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