夕日岳/咆哮する風と弦月の夜

2021.05.03(月) 2 DAYS

チェックポイント

DAY 1
合計時間
5 時間 1
休憩時間
52
距離
7.9 km
のぼり / くだり
982 / 141 m
2
14
2 13
29
37
DAY 2
合計時間
5 時間 6
休憩時間
1 時間 14
距離
9.7 km
のぼり / くだり
441 / 1289 m
16
29
14
21
41
24
58
8

活動詳細

すべて見る

当初は、三泊四日のテント縦走を予定していたが、諸事情で中止となってしまった。それで、出発の準備を入念に整えていたから、すっかり空虚な気持ちになった。それでも、日常の些事を終えると、一泊で、何処かにテントを担いで行こう、そう思い直した。 栃木県鹿沼市の北西部、足尾町との境界に並ぶ山稜には、以前から興味を持っていた。その中でも、夕日岳の名前が印象的だった。朝日岳はよく聞くが、夕日岳と云うのは、余り聞かない山名のように思う。 夕日岳に幕営して、夕日を眺める。なんとも寂寞とした感じがするが、今の心境を顧みると、それもまた一興である。山頂からは、男体山を中心とした、日光連山の眺望もあるらしい。しみじみと、そしてのんびりと、山頂ビバークをしようではないか。そう決心すると、なんだか意識が高揚してきた。 準備万端で出発を待っている、ザックの中を点検する。食糧を二日分に間引いて、代わりに缶ビールと、ウイスキーを入れたスキットルを収納する。一体、山に登って何をしようというのか。なんだか訳が解らない。解らないのだけれども、とにかく、出掛けることにしよう。

夕日岳・薬師岳 栗橋駅で東武鉄道に乗り換えて、途端にローカル線の風情が漂うようになった。

利根川を渡り、車窓には、肥沃な田畑が広がっている。関東平野の広さを実感できる風景で、線路がカーブすると、地平の彼方に、富士山が明瞭に見える。

電車から、見えるのかなと思い、右手の車窓を凝視するが、渡良瀬遊水地は見えなかった。渡良瀬川を越えて、余り馴染みの無い栃木県の風景は、いよいよ、のんびりした風情となっていった。

予定よりも少し早い時刻に出掛けたので、上野東京ラインと、東武日光線の接続が良すぎた。新鹿沼駅には、古峯神社行きリーバス(鹿沼市民バス)が発車する、一時間も前に着いてしまった。

客待ちのタクシーが屯する駅前に、岡本太郎作のモニュメント。唐突なインスタレーションに苦笑する。
栗橋駅で東武鉄道に乗り換えて、途端にローカル線の風情が漂うようになった。 利根川を渡り、車窓には、肥沃な田畑が広がっている。関東平野の広さを実感できる風景で、線路がカーブすると、地平の彼方に、富士山が明瞭に見える。 電車から、見えるのかなと思い、右手の車窓を凝視するが、渡良瀬遊水地は見えなかった。渡良瀬川を越えて、余り馴染みの無い栃木県の風景は、いよいよ、のんびりした風情となっていった。 予定よりも少し早い時刻に出掛けたので、上野東京ラインと、東武日光線の接続が良すぎた。新鹿沼駅には、古峯神社行きリーバス(鹿沼市民バス)が発車する、一時間も前に着いてしまった。 客待ちのタクシーが屯する駅前に、岡本太郎作のモニュメント。唐突なインスタレーションに苦笑する。
夕日岳・薬師岳 定刻より数分遅れて到着したリーバスに乗り込む。車体は、かなり古びていて、運行受託している関東バスのものだった。

ICカードは使用できないので、整理券を取る。市民バスなので運賃は良心的。終点の古峯神社まで、一時間くらいの乗車で四百円だった。

市街地を抜けて、古峰原街道は田園風景となる。右手に、石切場のある、標高333mの深岩が異形の山容を見せている。訪れてみたい山である。
定刻より数分遅れて到着したリーバスに乗り込む。車体は、かなり古びていて、運行受託している関東バスのものだった。 ICカードは使用できないので、整理券を取る。市民バスなので運賃は良心的。終点の古峯神社まで、一時間くらいの乗車で四百円だった。 市街地を抜けて、古峰原街道は田園風景となる。右手に、石切場のある、標高333mの深岩が異形の山容を見せている。訪れてみたい山である。
夕日岳・薬師岳 古峯神社に到着。好天だが空気の冷たさに驚く。神社に参拝するが、想像以上に観光客で賑わっている。

人混みから抜け出るようにして、車道を歩き始めた。
古峯神社に到着。好天だが空気の冷たさに驚く。神社に参拝するが、想像以上に観光客で賑わっている。 人混みから抜け出るようにして、車道を歩き始めた。
夕日岳・薬師岳 古峯神社併設の広大な庭園、古峯園(こほうえん)を迂回するようにして蛇行する舗道を登り、古峰原林道の入口に到着。ここが地蔵岳の登山口となっている。

ところで、同じ古峰だが、古峯神社は「ふるみね」で、古峰原は「こぶがはら」と読むので、やや困惑してしまう。
古峯神社併設の広大な庭園、古峯園(こほうえん)を迂回するようにして蛇行する舗道を登り、古峰原林道の入口に到着。ここが地蔵岳の登山口となっている。 ところで、同じ古峰だが、古峯神社は「ふるみね」で、古峰原は「こぶがはら」と読むので、やや困惑してしまう。
夕日岳・薬師岳 正午近い時刻からの歩き出しなのだが、夕日岳までの道のりは、およそ四時間弱の標準コースタイム。日照時間の長い季節なので、余裕のありすぎる行程である。

人の居なくなった林道歩きが心地好く、ゆっくりと歩を進める。正面に聳える大岩山が美しい。
正午近い時刻からの歩き出しなのだが、夕日岳までの道のりは、およそ四時間弱の標準コースタイム。日照時間の長い季節なので、余裕のありすぎる行程である。 人の居なくなった林道歩きが心地好く、ゆっくりと歩を進める。正面に聳える大岩山が美しい。
夕日岳・薬師岳 大芦川に収斂する北沢に沿って、古峰原林道は九十九折に続いていた。新緑の中に点在する山躑躅を見て、春なのだなと思い、木陰の涼しさで、初夏の兆しを感じる。

大岩山からの沢が落ちる処で、日向ぼっこの休憩を取り、ふたたび歩き出すと、車輌が転回できる広場で林道は終点となった。

山道は小規模な尾根を捲きながら、踏路が続くようになっていった。
大芦川に収斂する北沢に沿って、古峰原林道は九十九折に続いていた。新緑の中に点在する山躑躅を見て、春なのだなと思い、木陰の涼しさで、初夏の兆しを感じる。 大岩山からの沢が落ちる処で、日向ぼっこの休憩を取り、ふたたび歩き出すと、車輌が転回できる広場で林道は終点となった。 山道は小規模な尾根を捲きながら、踏路が続くようになっていった。
夕日岳・薬師岳 「山道荒れている」という記載が、私の所持している、山と高原地図「日光・白根山・男体山」(2013年版の古いもの)にある。

現況は、それほどでもなかった。実直に、山腹トラバースの道が続いている。しかし、水場の印が在る箇所は、涸れていて全く出ていない。

植林帯の薄暗い踏路が続いて、少し飽きてきたなと思う頃、岩礫の折り重なる、支流の沢を渡渉する地点に達した。

支流の左岸に沿って、迷い込んでしまいそうな程に明瞭な踏み跡が在った。要注意である。
「山道荒れている」という記載が、私の所持している、山と高原地図「日光・白根山・男体山」(2013年版の古いもの)にある。 現況は、それほどでもなかった。実直に、山腹トラバースの道が続いている。しかし、水場の印が在る箇所は、涸れていて全く出ていない。 植林帯の薄暗い踏路が続いて、少し飽きてきたなと思う頃、岩礫の折り重なる、支流の沢を渡渉する地点に達した。 支流の左岸に沿って、迷い込んでしまいそうな程に明瞭な踏み跡が在った。要注意である。
夕日岳・薬師岳 渡渉地点を越えると、視界が急に開ける。大芦川北沢に沿って踏路が続いていたが、やがて小径は消失した。

沢に沿って、歩けそうな箇所を辿って遡上していく。そして、ようやく登山ルートを外していたことに気付いた。

しばらく沢沿いに歩くものと思い込んでいたが、右手に在る尾根に踏路を発見した。少しだけ茫然と立ち尽くして、来た道を引き返す。

小尾根末端の二俣に戻ると、沢の向こうに山道が続いている。渡渉してから溜息をつき、ザックを下ろして、しばしの休憩を取った。
渡渉地点を越えると、視界が急に開ける。大芦川北沢に沿って踏路が続いていたが、やがて小径は消失した。 沢に沿って、歩けそうな箇所を辿って遡上していく。そして、ようやく登山ルートを外していたことに気付いた。 しばらく沢沿いに歩くものと思い込んでいたが、右手に在る尾根に踏路を発見した。少しだけ茫然と立ち尽くして、来た道を引き返す。 小尾根末端の二俣に戻ると、沢の向こうに山道が続いている。渡渉してから溜息をつき、ザックを下ろして、しばしの休憩を取った。
夕日岳・薬師岳 小尾根を登り、踏路はふたたび左岸に沿って辿るようになった。上流で最後の二俣を見て、標高点1281mから延びる尾根の、東側を縫うようにして登っていく。

緩やかな傾斜を歩き続けて、見上げると空の明るさが近い。
小尾根を登り、踏路はふたたび左岸に沿って辿るようになった。上流で最後の二俣を見て、標高点1281mから延びる尾根の、東側を縫うようにして登っていく。 緩やかな傾斜を歩き続けて、見上げると空の明るさが近い。
夕日岳・薬師岳 鞍部の小平地、ハガタテ平に到着した。待望の稜線上に出た訳で、青空の広がる景色は良いのだが、風の強さにたじろぐ。

そういえば、今日は高気圧に覆われ好天だが、等圧線の幅が狭く、強風に注意、というようなことを、今朝の気象情報で云っていたな、と思い出した。

標高1000mを越えた山の上でのことなので、一概に云えることでは無いが、このまま強風が続くと、幕営に難渋しそうである。

急に心細くなるが、倒木に腰を下ろして、今回から導入した行動食の、トレイルミックスを食すことにした。

山歩きのドライフルーツが、とても美味しい。
鞍部の小平地、ハガタテ平に到着した。待望の稜線上に出た訳で、青空の広がる景色は良いのだが、風の強さにたじろぐ。 そういえば、今日は高気圧に覆われ好天だが、等圧線の幅が狭く、強風に注意、というようなことを、今朝の気象情報で云っていたな、と思い出した。 標高1000mを越えた山の上でのことなので、一概に云えることでは無いが、このまま強風が続くと、幕営に難渋しそうである。 急に心細くなるが、倒木に腰を下ろして、今回から導入した行動食の、トレイルミックスを食すことにした。 山歩きのドライフルーツが、とても美味しい。
夕日岳・薬師岳 ハガタテ平から、緩やかな勾配を登り始める。鹿沼市を、衝立のように囲む尾根上を、歩いている。

風は突然強まり、そして止むという、断続的な現象が続いていた。地蔵岳の山肌に取り付くと、次第に登山道が右に逸れていく。

西尾根から南の尾根に、水平トラバースして続く道を歩いている。尾根と尾根の隙間に居ると北風は遮られ、束の間の安堵感に浸る。

南尾根に乗ると、鹿沼市側の眺望が、枯木越しに広がった。空は依然として青く、好天なのだが、尾根上に戻ると、先ほどと同様に、断続的な強風に晒されることになった。
ハガタテ平から、緩やかな勾配を登り始める。鹿沼市を、衝立のように囲む尾根上を、歩いている。 風は突然強まり、そして止むという、断続的な現象が続いていた。地蔵岳の山肌に取り付くと、次第に登山道が右に逸れていく。 西尾根から南の尾根に、水平トラバースして続く道を歩いている。尾根と尾根の隙間に居ると北風は遮られ、束の間の安堵感に浸る。 南尾根に乗ると、鹿沼市側の眺望が、枯木越しに広がった。空は依然として青く、好天なのだが、尾根上に戻ると、先ほどと同様に、断続的な強風に晒されることになった。
夕日岳・薬師岳 標高1483mの、地蔵岳に登頂した。石祠の中には、御地蔵様ではなく、錫杖を持つ金剛童子像が祀られている。

山頂の山名板が在る処に、主図根と記された標石柱が在った。三角点と図根点の違いに就いては、知らないので判らない。

それはそうとして、山稜に吹き荒ぶ風の勢いは、衰える気配が無い。上空は青空の広がる風景だが、気がつくと、西の方角は不穏な色彩の雲に覆われている。皇海山を主峰とする山々の姿は、もちろん見えない。

単独行の山頂ビバークが近づいてきて、徐々に不安感に苛まれるようになっていった。稜線上や鞍部では、猛烈な風に直面してしまう。夕日岳に至る途上で、風を除けられる適地があれば、そこに設営するのが得策だろう。そんな場所が、果たして在るのだろうか。

主図根点の傍らに在る岩に座り、考えても仕方の無いことを考え、不安感はいよいよ増大していくようであった。

そんな時、風の向こうから、熊鈴の音が聞こえてきた。違和感に、慄然とする。

熊鈴の音に混淆して、金剛鈴のような音が、一定のリズムで鳴っている。

遊輪(ゆうかん)が、錫杖を打つような音のように聞こえるのは、修験道の行者が巡礼する山稜に居る、と云う意識に拠る想起かもしれない。

夕日岳方面から、高齢の女性が、独りで歩いてきたのだった。目礼を交わすと、高齢女史は、石祠に対峙して合掌し、そして去っていった。

高齢女史は、当然だが錫杖を突いている訳ではなかった。熊鈴の他に、鳴物をぶら下げているのだろうか。しかし、ひと際甲高く、そして規則正しく鳴る音は、ぶら下げて出せるものではないような気がした。

強風の不安で沈み込んでいた気持ちが、得体の知れない鈴の音で、周章狼狽の度を深めていくようであった。

あの高齢女史の後を追って、下山した方がいいのだろうか。そんな思いに、傾いていく。
標高1483mの、地蔵岳に登頂した。石祠の中には、御地蔵様ではなく、錫杖を持つ金剛童子像が祀られている。 山頂の山名板が在る処に、主図根と記された標石柱が在った。三角点と図根点の違いに就いては、知らないので判らない。 それはそうとして、山稜に吹き荒ぶ風の勢いは、衰える気配が無い。上空は青空の広がる風景だが、気がつくと、西の方角は不穏な色彩の雲に覆われている。皇海山を主峰とする山々の姿は、もちろん見えない。 単独行の山頂ビバークが近づいてきて、徐々に不安感に苛まれるようになっていった。稜線上や鞍部では、猛烈な風に直面してしまう。夕日岳に至る途上で、風を除けられる適地があれば、そこに設営するのが得策だろう。そんな場所が、果たして在るのだろうか。 主図根点の傍らに在る岩に座り、考えても仕方の無いことを考え、不安感はいよいよ増大していくようであった。 そんな時、風の向こうから、熊鈴の音が聞こえてきた。違和感に、慄然とする。 熊鈴の音に混淆して、金剛鈴のような音が、一定のリズムで鳴っている。 遊輪(ゆうかん)が、錫杖を打つような音のように聞こえるのは、修験道の行者が巡礼する山稜に居る、と云う意識に拠る想起かもしれない。 夕日岳方面から、高齢の女性が、独りで歩いてきたのだった。目礼を交わすと、高齢女史は、石祠に対峙して合掌し、そして去っていった。 高齢女史は、当然だが錫杖を突いている訳ではなかった。熊鈴の他に、鳴物をぶら下げているのだろうか。しかし、ひと際甲高く、そして規則正しく鳴る音は、ぶら下げて出せるものではないような気がした。 強風の不安で沈み込んでいた気持ちが、得体の知れない鈴の音で、周章狼狽の度を深めていくようであった。 あの高齢女史の後を追って、下山した方がいいのだろうか。そんな思いに、傾いていく。
夕日岳・薬師岳 紫煙を燻らせて、気持ちの沈静化を図る。過去の山行での、苛烈だったビバークの記憶を辿る。死の恐怖に直面するような体験が、一度だけあった。それを思い返してみる。

山でいちばん恐ろしいのは、落雷だと思うが、二番目はなんだろう。実感として恐怖を感じるのは、雨よりも風で、実際に私は今、強風に恐怖を感じている。

過去の苛烈な記憶を思い起こすと、それは暴風雪の中でのビバークだった。

あの時に比べたら、なんでもないな。そう思うことで、気分は沈静化した。もしも、何処にもテントを張れないようであれば、ハガタテ平まで戻り、樹林帯へ逃げ込めばよいのだ。その時間は、充分にある。

と、云うような思考の末に、ようやく下肢に力が入り、歩き出した。枯木に点在する八汐躑躅。その向こうに、夕日岳の端整な山容が見えてきた。
紫煙を燻らせて、気持ちの沈静化を図る。過去の山行での、苛烈だったビバークの記憶を辿る。死の恐怖に直面するような体験が、一度だけあった。それを思い返してみる。 山でいちばん恐ろしいのは、落雷だと思うが、二番目はなんだろう。実感として恐怖を感じるのは、雨よりも風で、実際に私は今、強風に恐怖を感じている。 過去の苛烈な記憶を思い起こすと、それは暴風雪の中でのビバークだった。 あの時に比べたら、なんでもないな。そう思うことで、気分は沈静化した。もしも、何処にもテントを張れないようであれば、ハガタテ平まで戻り、樹林帯へ逃げ込めばよいのだ。その時間は、充分にある。 と、云うような思考の末に、ようやく下肢に力が入り、歩き出した。枯木に点在する八汐躑躅。その向こうに、夕日岳の端整な山容が見えてきた。
夕日岳・薬師岳 標高1500mに近い稜線を歩き、程無く尾根分岐のピークである、三ツ目に到着した。依然として、強風が吹き荒れている。

三ツ目とはなんだろう。尾根分岐の三叉路を表現した呼称なのだろうか。穏やかではない心理状態の所為か、三ツ目という文字が脳裏に浮かんで、不気味な形に転化する。もちろん、手塚治虫の絵も浮かんでくる。

不安感を払拭できないまま、東に延びる尾根に入っていく。痩せ尾根の踏路は、枯れたモノトーンの風景だった。

殺伐とした岩尾根に、桃色の八汐躑躅が、異質な彩りを添えている。良景なのだが、勢いを増していく強風の所為で、今はそれどころではない。

三ツ目からの勾配を下り、鞍部に達すると、いよいよ夕日岳が近い。

登り始めて間も無く、右手に柱状の岩が重なる崖が見えてきた。その岩崖の下が、平地になっている。登山道を外れて様子を窺いに行くと、完全に風を除けている場所だった。

行者様も、あるいは此処で夜を明かしたのかもしれないな。そんな独り言を呟く。お誂え向きの、幕営適地であった。

とりあえず山頂を目指して、候補地が無ければ、此処に戻って来よう。安堵して登山道に復帰すると、相変わらずの強風である。

青空は消え失せて、スモークのように白い霧が、轟音とともに流れている。そして、霧はいつしか霙となって、頬を打ってくるようになった。

これは、いよいよ深刻な状況になってきたな。そう独りごちて、最後の傾斜を、登り始めた。
標高1500mに近い稜線を歩き、程無く尾根分岐のピークである、三ツ目に到着した。依然として、強風が吹き荒れている。 三ツ目とはなんだろう。尾根分岐の三叉路を表現した呼称なのだろうか。穏やかではない心理状態の所為か、三ツ目という文字が脳裏に浮かんで、不気味な形に転化する。もちろん、手塚治虫の絵も浮かんでくる。 不安感を払拭できないまま、東に延びる尾根に入っていく。痩せ尾根の踏路は、枯れたモノトーンの風景だった。 殺伐とした岩尾根に、桃色の八汐躑躅が、異質な彩りを添えている。良景なのだが、勢いを増していく強風の所為で、今はそれどころではない。 三ツ目からの勾配を下り、鞍部に達すると、いよいよ夕日岳が近い。 登り始めて間も無く、右手に柱状の岩が重なる崖が見えてきた。その岩崖の下が、平地になっている。登山道を外れて様子を窺いに行くと、完全に風を除けている場所だった。 行者様も、あるいは此処で夜を明かしたのかもしれないな。そんな独り言を呟く。お誂え向きの、幕営適地であった。 とりあえず山頂を目指して、候補地が無ければ、此処に戻って来よう。安堵して登山道に復帰すると、相変わらずの強風である。 青空は消え失せて、スモークのように白い霧が、轟音とともに流れている。そして、霧はいつしか霙となって、頬を打ってくるようになった。 これは、いよいよ深刻な状況になってきたな。そう独りごちて、最後の傾斜を、登り始めた。
夕日岳・薬師岳 標高1526.1m、お目当ての夕日岳に登頂した。北面に眺望の開ける先に、御椀を伏せたような日光男体山が、真ん中に聳えている。その山頂部は、霧に覆われて見えない。

午後四時を過ぎたばかりだというのに、空は鉛色で薄暗い。そして、遮るもののない山頂に、強風が波のように押し寄せてくる。
標高1526.1m、お目当ての夕日岳に登頂した。北面に眺望の開ける先に、御椀を伏せたような日光男体山が、真ん中に聳えている。その山頂部は、霧に覆われて見えない。 午後四時を過ぎたばかりだというのに、空は鉛色で薄暗い。そして、遮るもののない山頂に、強風が波のように押し寄せてくる。
夕日岳・薬師岳 山頂域の、標高1520m圏に、幕営できる場所があるのだろうか。三角点のあるピークから東側に移動すると、木立ちの中に笹原の薄い、平坦なスペースが広がっていた。吹き曝しのピークに比べると、なんとかテントを設営できそうな環境であった。

かつて、夕日岳新道と呼ばれた東面の尾根を下り、平坦地を探してみる。なんとか張れそうな箇所もあるが、尾根の途上は、やはり風の影響が強い。山頂域に戻り、暫く風の様子を窺うことにした。

そのうちに、鉛色の空が徐々に明るくなり、雲間から陽光が射してきた。山頂域は、見まごうばかりに明るくなった。しかし、風が止んだ訳ではなかった。

木立ちの平坦地と、三角点の展望地を行ったり来たりして、風除けの差異を体感する。

そして、テントを張っても、大丈夫だろう、そう判断した。断続的に吹いている風の止むタイミングを見計らい、テントを取り出す。慎重にペグダウンして、フライシートのガイラインを、樹木の幹に括り付ける。

設営は完了した。自立したテントの中に、荷物を放り込んで、ようやく安堵感が漲る。
山頂域の、標高1520m圏に、幕営できる場所があるのだろうか。三角点のあるピークから東側に移動すると、木立ちの中に笹原の薄い、平坦なスペースが広がっていた。吹き曝しのピークに比べると、なんとかテントを設営できそうな環境であった。 かつて、夕日岳新道と呼ばれた東面の尾根を下り、平坦地を探してみる。なんとか張れそうな箇所もあるが、尾根の途上は、やはり風の影響が強い。山頂域に戻り、暫く風の様子を窺うことにした。 そのうちに、鉛色の空が徐々に明るくなり、雲間から陽光が射してきた。山頂域は、見まごうばかりに明るくなった。しかし、風が止んだ訳ではなかった。 木立ちの平坦地と、三角点の展望地を行ったり来たりして、風除けの差異を体感する。 そして、テントを張っても、大丈夫だろう、そう判断した。断続的に吹いている風の止むタイミングを見計らい、テントを取り出す。慎重にペグダウンして、フライシートのガイラインを、樹木の幹に括り付ける。 設営は完了した。自立したテントの中に、荷物を放り込んで、ようやく安堵感が漲る。
夕日岳・薬師岳 スキットルを片手に、三角点の頂上に戻り、日光連山の眺望を確かめに行く。

男体山、大真名子山、そして女峰山が遠近法の序列の通りに並んでいる。日光連山の上に纏わり付いていた靄は、徐々に雲散していくようであった。

未だ、穏やかとは云えない風の山頂で、紫煙を燻らせつつ、スキットルのバーボンを嘗める。

実感としては、紆余曲折の行程であったが、終わってみれば、コースタイムに近い所要時間で登頂し、懸案の幕営も解決したのであった。
スキットルを片手に、三角点の頂上に戻り、日光連山の眺望を確かめに行く。 男体山、大真名子山、そして女峰山が遠近法の序列の通りに並んでいる。日光連山の上に纏わり付いていた靄は、徐々に雲散していくようであった。 未だ、穏やかとは云えない風の山頂で、紫煙を燻らせつつ、スキットルのバーボンを嘗める。 実感としては、紆余曲折の行程であったが、終わってみれば、コースタイムに近い所要時間で登頂し、懸案の幕営も解決したのであった。
夕日岳・薬師岳 テントの中に落ち着き、ビールを飲みながら食事を摂り、未だ陽の暮れないうちに、眠り込んでしまった。

眼が覚めると、午後八時を過ぎたばかり。外の強風は、未だに衰えず、テントの布が波打つようにして揺れている。咆哮する猛烈な風の音に落ち着かず、イヤホンをして音楽を聴きながら、ふたたび眠りに落ちた。

次に覚醒したのは、日付が変わって間もない頃であった。イヤホンを外すと、静寂である。ヘッドランプを装着して、恐る恐るテントの外に這い出た。

風はすっかり止んでいた。木立ちの向こうに、栃木県の市街地の夜景が、帯状に広がっている。嵐の去った夜空に、月が煌々と光っている。足元を照らしながら、展望地の山頂に歩いていった。

南の空に浮かぶ月は、きれいな半月だった。夕日岳の夕日を眺めることは出来なかったが、弦月の明かりで、正面に横たわる半月山が、薄ぼんやりと浮かんでいる。

言葉の綾のようなことであるが、趣き深い夜の光景であった。
テントの中に落ち着き、ビールを飲みながら食事を摂り、未だ陽の暮れないうちに、眠り込んでしまった。 眼が覚めると、午後八時を過ぎたばかり。外の強風は、未だに衰えず、テントの布が波打つようにして揺れている。咆哮する猛烈な風の音に落ち着かず、イヤホンをして音楽を聴きながら、ふたたび眠りに落ちた。 次に覚醒したのは、日付が変わって間もない頃であった。イヤホンを外すと、静寂である。ヘッドランプを装着して、恐る恐るテントの外に這い出た。 風はすっかり止んでいた。木立ちの向こうに、栃木県の市街地の夜景が、帯状に広がっている。嵐の去った夜空に、月が煌々と光っている。足元を照らしながら、展望地の山頂に歩いていった。 南の空に浮かぶ月は、きれいな半月だった。夕日岳の夕日を眺めることは出来なかったが、弦月の明かりで、正面に横たわる半月山が、薄ぼんやりと浮かんでいる。 言葉の綾のようなことであるが、趣き深い夜の光景であった。
夕日岳・薬師岳 午前四時半。アラームで目覚め、テントから出ると、既に東の空は明るい。

市街地の地平に雲が棚引き、その上から、紅く滲んだ曙光が射し込む。朝陽の逆光に、山肌に自生する八汐躑躅が浮かび上がった。

夜明けの夕日岳山頂から、半月山の向こうに連なる、日光連山を眺める。

左手の奥に、銀嶺の日光白根山が光る。早朝の眺めは、山頂ビバークの愉悦である。
午前四時半。アラームで目覚め、テントから出ると、既に東の空は明るい。 市街地の地平に雲が棚引き、その上から、紅く滲んだ曙光が射し込む。朝陽の逆光に、山肌に自生する八汐躑躅が浮かび上がった。 夜明けの夕日岳山頂から、半月山の向こうに連なる、日光連山を眺める。 左手の奥に、銀嶺の日光白根山が光る。早朝の眺めは、山頂ビバークの愉悦である。
夕日岳・薬師岳 山頂で朝食を摂り、テントを畳むことにする。バックパックは今回も、50リッターのKLATTERMUSEN GUNGNERである。

省スペースへのパッキングを、慎重に行なう。これもなんだか愉しい作業である。

午前六時を前に、準備が整った。そんな時、意外にも、男性の単独行者が登頂してきた。細尾峠からの早出だろうか。挨拶を交わすが、足早に去ってしまった。

意外、そう思ったのは彼の方であることは、想像に難くない。
山頂で朝食を摂り、テントを畳むことにする。バックパックは今回も、50リッターのKLATTERMUSEN GUNGNERである。 省スペースへのパッキングを、慎重に行なう。これもなんだか愉しい作業である。 午前六時を前に、準備が整った。そんな時、意外にも、男性の単独行者が登頂してきた。細尾峠からの早出だろうか。挨拶を交わすが、足早に去ってしまった。 意外、そう思ったのは彼の方であることは、想像に難くない。
夕日岳・薬師岳 夕日岳で夜明けを迎えて、もう充足したので、これから古峯神社へ、下山の途に就くだけである。

本当は、「禅頂行者みち」と呼ばれる尾根道を歩き、薬師岳から大木戸山を経由して、日光市営の「やしおの湯」に立ち寄って帰りたかった。

しかし、やしおの湯のサイトを確認すると、

「新型コロナウイルス感染症対策のため、令和3年4月24日(土曜日)から、緊急事態措置区域および、まん延防止等重点措置区域の適用を受けた都道府県にお住まいの方は当施設の利用をお控えくださるようお願いします」

トップページに赤字で記してあった。

これでは歩いた甲斐が無い。いつか、また歩ける時がくるだろう。ふたたび、鹿沼市へと戻る積もりである。

だが、同じ道を戻るのは詰まらない。足尾町との境界線を歩き、行者岳を経由していくことにしている。

その前に、いにしえの登山道、夕日岳新道の様子を、少しだけ確かめていきたい。東南東に延びる尾根を下り、最初の鞍部から登り返す岩のピーク近辺に、熟達者の設置した「岩タア」というプレートが在るようなので、それを見に行くことにした。

歩きやすい尾根道を下り続けて、標高にして1450m圏で、岩塊に阻まれた。

南側を捲いて、さらに下降すると、刺々しい巨岩の塊に対峙する。そこに、「岩タア」のプレートが在った。

「岩タア」とはなんだろうか。鞍部を意味する「タワ」の転訛であろうとは思うが、なんで転訛するのかは判らない。

栃木弁なのかな、などと思いながら、とりあえず岩タアを登ってみる。
夕日岳で夜明けを迎えて、もう充足したので、これから古峯神社へ、下山の途に就くだけである。 本当は、「禅頂行者みち」と呼ばれる尾根道を歩き、薬師岳から大木戸山を経由して、日光市営の「やしおの湯」に立ち寄って帰りたかった。 しかし、やしおの湯のサイトを確認すると、 「新型コロナウイルス感染症対策のため、令和3年4月24日(土曜日)から、緊急事態措置区域および、まん延防止等重点措置区域の適用を受けた都道府県にお住まいの方は当施設の利用をお控えくださるようお願いします」 トップページに赤字で記してあった。 これでは歩いた甲斐が無い。いつか、また歩ける時がくるだろう。ふたたび、鹿沼市へと戻る積もりである。 だが、同じ道を戻るのは詰まらない。足尾町との境界線を歩き、行者岳を経由していくことにしている。 その前に、いにしえの登山道、夕日岳新道の様子を、少しだけ確かめていきたい。東南東に延びる尾根を下り、最初の鞍部から登り返す岩のピーク近辺に、熟達者の設置した「岩タア」というプレートが在るようなので、それを見に行くことにした。 歩きやすい尾根道を下り続けて、標高にして1450m圏で、岩塊に阻まれた。 南側を捲いて、さらに下降すると、刺々しい巨岩の塊に対峙する。そこに、「岩タア」のプレートが在った。 「岩タア」とはなんだろうか。鞍部を意味する「タワ」の転訛であろうとは思うが、なんで転訛するのかは判らない。 栃木弁なのかな、などと思いながら、とりあえず岩タアを登ってみる。
夕日岳・薬師岳 険しい露岩の壁を登りきると、両側に深い谷を見る、峻険な岩稜の上に立った。

木立ちに覆われて、眺望は芳しくない。しかし、細尾根は先に続いていて、その先は明るい。

地形図を確認すると、もうひとつ鞍部を越えて、1450m圏峰があり、そこで尾根が二分している。南東に下るのが、蕗平に至る、夕日岳新道の尾根である。

是非歩いてみたい尾根なのだが、蕗平に降りてしまうと、リーバスの停留所、一の鳥居まで、延々と歩かなければならない。

時間は充分にあるが、なんだか今日ではないような気もする。興味深い尾根道は、できれば登りで歩きたいな、という思いもある。

岩タアを確認して納得し、夕日岳に戻った。午前六時半を過ぎている。

八汐躑躅の盛りで、ゴールデンウィークの祝日である。これから登山者で賑わうであろう夕日岳を、早々に辞することにした。
険しい露岩の壁を登りきると、両側に深い谷を見る、峻険な岩稜の上に立った。 木立ちに覆われて、眺望は芳しくない。しかし、細尾根は先に続いていて、その先は明るい。 地形図を確認すると、もうひとつ鞍部を越えて、1450m圏峰があり、そこで尾根が二分している。南東に下るのが、蕗平に至る、夕日岳新道の尾根である。 是非歩いてみたい尾根なのだが、蕗平に降りてしまうと、リーバスの停留所、一の鳥居まで、延々と歩かなければならない。 時間は充分にあるが、なんだか今日ではないような気もする。興味深い尾根道は、できれば登りで歩きたいな、という思いもある。 岩タアを確認して納得し、夕日岳に戻った。午前六時半を過ぎている。 八汐躑躅の盛りで、ゴールデンウィークの祝日である。これから登山者で賑わうであろう夕日岳を、早々に辞することにした。
夕日岳・薬師岳 昨日は戦々恐々の態で歩いた、夕日岳から三ツ目までの岩尾根を、今朝は安穏な気分で歩く。

葉よりも先に花が咲くという八汐躑躅の桃色が、枯木の尾根をシンプルに装飾している。

分岐点の三ツ目から、禅頂行者みちの先に男体山を見て踵を返し、地蔵岳に向かう。
昨日は戦々恐々の態で歩いた、夕日岳から三ツ目までの岩尾根を、今朝は安穏な気分で歩く。 葉よりも先に花が咲くという八汐躑躅の桃色が、枯木の尾根をシンプルに装飾している。 分岐点の三ツ目から、禅頂行者みちの先に男体山を見て踵を返し、地蔵岳に向かう。
夕日岳・薬師岳 地蔵岳の、主図根点の傍らで、ふたたびの休憩をする。昨日の殺伐とした光景が脳裏に浮かぶ。木立ち越しの眺望は、遠く日光白根山の銀嶺、そして白錫尾根から皇海山に至る山なみ。

石祠の金剛童子を、今は心穏やかに拝観できる。
地蔵岳の、主図根点の傍らで、ふたたびの休憩をする。昨日の殺伐とした光景が脳裏に浮かぶ。木立ち越しの眺望は、遠く日光白根山の銀嶺、そして白錫尾根から皇海山に至る山なみ。 石祠の金剛童子を、今は心穏やかに拝観できる。
夕日岳・薬師岳 ハガタテ平に戻り、緩やかな斜面を登ると、標高1281m点ピークを越える。広々とした踏路が気持ちよい。

標高1320m圏まで登り、広葉樹林帯になると、巨岩の折り重なる箇所に行き着いた。

「竜ノ宿」という標柱が在る岩の庇の下に、石仏が鎮座していた。
ハガタテ平に戻り、緩やかな斜面を登ると、標高1281m点ピークを越える。広々とした踏路が気持ちよい。 標高1320m圏まで登り、広葉樹林帯になると、巨岩の折り重なる箇所に行き着いた。 「竜ノ宿」という標柱が在る岩の庇の下に、石仏が鎮座していた。
夕日岳・薬師岳 雑木林の広々とした斜面を登り、丘の上が標高1351mの、唐梨子山であった。「からりこやま」という軽妙な響きの山名である。

手製山名標の書体は、好感の持てる完成度であるが、「日光山紀行」の文字は、少し控え目にして貰えると有難いなと思う。

唐梨子山の眺望は皆無だが、なんとも落ち着く雰囲気で、随分長い間休憩してしまった。
雑木林の広々とした斜面を登り、丘の上が標高1351mの、唐梨子山であった。「からりこやま」という軽妙な響きの山名である。 手製山名標の書体は、好感の持てる完成度であるが、「日光山紀行」の文字は、少し控え目にして貰えると有難いなと思う。 唐梨子山の眺望は皆無だが、なんとも落ち着く雰囲気で、随分長い間休憩してしまった。
夕日岳・薬師岳 気持ちのよい踏路を、ひたすら下り続けると、大岩山との鞍部に降り立つ。

樹間より、ひと際高くて黒々とした、皇海山が見える。
気持ちのよい踏路を、ひたすら下り続けると、大岩山との鞍部に降り立つ。 樹間より、ひと際高くて黒々とした、皇海山が見える。
夕日岳・薬師岳 古峰原林道から見上げた、標高1310m圏峰の大岩山に差し掛かると、ふたたび八汐躑躅が点在する登山道となった。

大岩山を越え、下っていく途中に、印象的な巨岩が折り重なっている。金剛童子と記されたプレートが木に括られており、巨岩の裾に、石祠が在る。覗いてみると、中は空っぽであった。

先程から、古峰ヶ原峠方面から登ってきたハイカーと、擦れ違うようになった。ダブルストックで登ってきた、初老の男性と挨拶を交わすと、ずいぶん早いね、と云われる。

初老氏は、笑顔のすばらしい風貌で、もしも、この人が怒るようなことがあったら、それは尋常ではない事態であろう、そんな顔と雰囲気であった。

実は、と云って、私は夕日岳で泊まったことを話した。初老氏は、細尾峠から地蔵岳までは歩いたことがあるんだけどさ、今日は天気がよさそうだから繋げようと思って、と、古峯神社から登ってきたことを話してくれた。

昨日は霙と強風だったんですよと云うと、率直に驚いていた初老氏。テント大丈夫だった? と心配して戴いた。

それで、我が意を得たり、の思いになり、嬉しくなった。
古峰原林道から見上げた、標高1310m圏峰の大岩山に差し掛かると、ふたたび八汐躑躅が点在する登山道となった。 大岩山を越え、下っていく途中に、印象的な巨岩が折り重なっている。金剛童子と記されたプレートが木に括られており、巨岩の裾に、石祠が在る。覗いてみると、中は空っぽであった。 先程から、古峰ヶ原峠方面から登ってきたハイカーと、擦れ違うようになった。ダブルストックで登ってきた、初老の男性と挨拶を交わすと、ずいぶん早いね、と云われる。 初老氏は、笑顔のすばらしい風貌で、もしも、この人が怒るようなことがあったら、それは尋常ではない事態であろう、そんな顔と雰囲気であった。 実は、と云って、私は夕日岳で泊まったことを話した。初老氏は、細尾峠から地蔵岳までは歩いたことがあるんだけどさ、今日は天気がよさそうだから繋げようと思って、と、古峯神社から登ってきたことを話してくれた。 昨日は霙と強風だったんですよと云うと、率直に驚いていた初老氏。テント大丈夫だった? と心配して戴いた。 それで、我が意を得たり、の思いになり、嬉しくなった。
夕日岳・薬師岳 鞍部まで下り、踏路は相変わらず歩きやすい。次の行者岳に至るまでの途中にある、顕著な尾根分岐のピーク、1330m圏峰を登っていく。

その途上で、突然激しい動きの物体が降下してきた。マウンテンバイクがスピードに乗って下ってくるので、吃驚して避けた。

すいませえんありがとうございまあす失礼しまあす、と叫びながら、MTBの男性が走り去っていった。

平穏な尾根歩きが続き、最後の鞍部の向こうに、行者岳の端整な山容が現われる。

最後の鞍部、と云うのは、地形図で破線が記されている、行者岳から古峰ヶ原に至る尾根を下ってみようと思い立ったからである。

当初は、古峰ヶ原峠から三枚石を経由して、古峯神社に下山しようと思っていた。しかし、行者岳からショートカットが出来る尾根が在ると気付き、予定よりも一本早いバスに乗ってしまおうと考えた。

唐梨子山から此処までの道のりは、とても快適で、途中で、幾つか幕営適地を確認した。再訪して、何処かで夜を明かしてみたい、そう思った。それならば、三枚石から古峰ヶ原峠を、その時に取っておきたいなと、漠然と思った。

そして、今回の山歩きは、もう充分に堪能したという実感があった。この後予定している、栃木市内の散策に、早めに向かおうと思ったのである。
鞍部まで下り、踏路は相変わらず歩きやすい。次の行者岳に至るまでの途中にある、顕著な尾根分岐のピーク、1330m圏峰を登っていく。 その途上で、突然激しい動きの物体が降下してきた。マウンテンバイクがスピードに乗って下ってくるので、吃驚して避けた。 すいませえんありがとうございまあす失礼しまあす、と叫びながら、MTBの男性が走り去っていった。 平穏な尾根歩きが続き、最後の鞍部の向こうに、行者岳の端整な山容が現われる。 最後の鞍部、と云うのは、地形図で破線が記されている、行者岳から古峰ヶ原に至る尾根を下ってみようと思い立ったからである。 当初は、古峰ヶ原峠から三枚石を経由して、古峯神社に下山しようと思っていた。しかし、行者岳からショートカットが出来る尾根が在ると気付き、予定よりも一本早いバスに乗ってしまおうと考えた。 唐梨子山から此処までの道のりは、とても快適で、途中で、幾つか幕営適地を確認した。再訪して、何処かで夜を明かしてみたい、そう思った。それならば、三枚石から古峰ヶ原峠を、その時に取っておきたいなと、漠然と思った。 そして、今回の山歩きは、もう充分に堪能したという実感があった。この後予定している、栃木市内の散策に、早めに向かおうと思ったのである。
夕日岳・薬師岳 三等三角点、標高1328.8mの、行者岳に登頂した。此処迄の稜線歩きの心地好さを、改めて反芻するように回想する。秋に訪れたら、どんな雰囲気だろう。

トレイルミックスを頬張りながら、ぼんやり休憩していると、ひゃあ疲れたあ、という声と共に、先ほどのMTB氏が、マウンテンバイクを担いで登ってきた。

改めて挨拶を交わすと、夕日にテント張ってたんですか、とMTB氏が云う。好々爺の初老氏に聞いたとのことであった。

それで、随分会話が弾んでしまった。マウンテンバイクを担がせて貰う。軽い自転車とは云え、やっぱり重い。

しかし、下山途中の林道を、これで下ったら快楽的だろうな、とも思うのであった。
三等三角点、標高1328.8mの、行者岳に登頂した。此処迄の稜線歩きの心地好さを、改めて反芻するように回想する。秋に訪れたら、どんな雰囲気だろう。 トレイルミックスを頬張りながら、ぼんやり休憩していると、ひゃあ疲れたあ、という声と共に、先ほどのMTB氏が、マウンテンバイクを担いで登ってきた。 改めて挨拶を交わすと、夕日にテント張ってたんですか、とMTB氏が云う。好々爺の初老氏に聞いたとのことであった。 それで、随分会話が弾んでしまった。マウンテンバイクを担がせて貰う。軽い自転車とは云え、やっぱり重い。 しかし、下山途中の林道を、これで下ったら快楽的だろうな、とも思うのであった。
夕日岳・薬師岳 結局、MTB氏とお喋りをしているうちに、三十分が経過してしまった。リーバスの発車時刻まで、あと一時間と十五分。間に合うかどうかは判らないが、それもまた、旅の一興である。

MTB氏とエールを交わして、地形図破線の尾根を下ることにした。

標高1270m附近で、顕著な尾根が左に続いている。周囲は広く、気をつけないと進入してしまいそうだが、右手に進路を変える。

既に、下方の古峰原街道から響くエンジン音が聞こえてくる。

気持ちのよい尾根道が、いつしか伐採地となり、作業道の様相となった尾根上を下り続けた。
結局、MTB氏とお喋りをしているうちに、三十分が経過してしまった。リーバスの発車時刻まで、あと一時間と十五分。間に合うかどうかは判らないが、それもまた、旅の一興である。 MTB氏とエールを交わして、地形図破線の尾根を下ることにした。 標高1270m附近で、顕著な尾根が左に続いている。周囲は広く、気をつけないと進入してしまいそうだが、右手に進路を変える。 既に、下方の古峰原街道から響くエンジン音が聞こえてくる。 気持ちのよい尾根道が、いつしか伐採地となり、作業道の様相となった尾根上を下り続けた。
夕日岳・薬師岳 尾根通しに歩き続けて、鞍部の向こうに、標高1110m圏峰が現われる。

地形図破線は、この鞍部から、右折して沢沿いに向かうことになっている。

山腹に、トラバースの踏み跡があったので、足を踏み入れた。

しかし、トラバース道は徐々に不明瞭となった。滑落すれば、沢まではかなりの高低差がある。止むを得ず、来た道を引き返し、沢へ下ることにした。

小径は皆無で、沢に近いゴーロ状を、歩きやすいコースを見つけて下り続けた。

標高1030m附近で沢が東にカーブしていく。踏路は無く、この箇所が最も難渋する行程であった。

沢が東に転回していくと、山腹に沿って踏路が現われた。鞍部に至る区間が消失しているので、地形図破線ルートは、廃道と云うことになる。
尾根通しに歩き続けて、鞍部の向こうに、標高1110m圏峰が現われる。 地形図破線は、この鞍部から、右折して沢沿いに向かうことになっている。 山腹に、トラバースの踏み跡があったので、足を踏み入れた。 しかし、トラバース道は徐々に不明瞭となった。滑落すれば、沢まではかなりの高低差がある。止むを得ず、来た道を引き返し、沢へ下ることにした。 小径は皆無で、沢に近いゴーロ状を、歩きやすいコースを見つけて下り続けた。 標高1030m附近で沢が東にカーブしていく。踏路は無く、この箇所が最も難渋する行程であった。 沢が東に転回していくと、山腹に沿って踏路が現われた。鞍部に至る区間が消失しているので、地形図破線ルートは、廃道と云うことになる。
夕日岳・薬師岳 長沢林道に降り立ち、夏のような陽差しを浴びる。行者岳からの所要時間は四十分だった。あと三十五分だが、余り慌てて歩きたくはない。微妙な心理状態で、林道を歩き始めた。

地形図には、標高点950mで、林道をショートカットするような破線が記されている。この道が無いと、迂回する林道歩きが長そうである。ポイントに到着して、沢に沿う方角を凝視する。

明瞭な踏路は、見当たらない。しかし、なんとなく歩かれているような痕跡が、無い訳ではない。少々の戸惑いはあったが、足を踏み入れることにした。

道のような、道ではないような、沢沿いの鬱蒼としたゴーロ状を歩く。次第に小径が沢から離れて、歩きやすくなった。

ふたたび長沢林道に突き当たり、程無く古峰原街道に合流した。
長沢林道に降り立ち、夏のような陽差しを浴びる。行者岳からの所要時間は四十分だった。あと三十五分だが、余り慌てて歩きたくはない。微妙な心理状態で、林道を歩き始めた。 地形図には、標高点950mで、林道をショートカットするような破線が記されている。この道が無いと、迂回する林道歩きが長そうである。ポイントに到着して、沢に沿う方角を凝視する。 明瞭な踏路は、見当たらない。しかし、なんとなく歩かれているような痕跡が、無い訳ではない。少々の戸惑いはあったが、足を踏み入れることにした。 道のような、道ではないような、沢沿いの鬱蒼としたゴーロ状を歩く。次第に小径が沢から離れて、歩きやすくなった。 ふたたび長沢林道に突き当たり、程無く古峰原街道に合流した。
夕日岳・薬師岳 古峯神社に帰着したのは、リーバス発車の八分前という絶妙なタイミングだった。

乗客は、地元の方一名と、私と同様、大きいザックに折りたたみ式マットを括りつけたハイカー氏が一名。

何処で泊まったのか気になるが、閉塞感のある下界では、無用な会話は儘ならない。
古峯神社に帰着したのは、リーバス発車の八分前という絶妙なタイミングだった。 乗客は、地元の方一名と、私と同様、大きいザックに折りたたみ式マットを括りつけたハイカー氏が一名。 何処で泊まったのか気になるが、閉塞感のある下界では、無用な会話は儘ならない。
夕日岳・薬師岳 新鹿沼駅から東武日光線の新栃木行きに乗り、終点で下車した。栃木市に残る、例幣使(れいへいし)街道の古い町並みを歩く。

蔵の街として観光地化している嘉右衛門町だが、人影は疎らであった。

観光拠点施設となる予定の、ヤマサ味噌工場跡。嘉右衛門町で、もっとも惹かれた風景。
新鹿沼駅から東武日光線の新栃木行きに乗り、終点で下車した。栃木市に残る、例幣使(れいへいし)街道の古い町並みを歩く。 蔵の街として観光地化している嘉右衛門町だが、人影は疎らであった。 観光拠点施設となる予定の、ヤマサ味噌工場跡。嘉右衛門町で、もっとも惹かれた風景。
夕日岳・薬師岳 県名である栃木の、最初は県庁所在地だった栃木市。諸事情で宇都宮に県庁は移転したとのこと(ちなみに、廃藩置県後は、宇都宮県もあったらしい)。

その県庁跡地に建つ、旧栃木町役場庁舎。大正時代の洋風建築は瀟洒で美しい。

廻りを囲む県庁掘が、県指定史跡になっている。
県名である栃木の、最初は県庁所在地だった栃木市。諸事情で宇都宮に県庁は移転したとのこと(ちなみに、廃藩置県後は、宇都宮県もあったらしい)。 その県庁跡地に建つ、旧栃木町役場庁舎。大正時代の洋風建築は瀟洒で美しい。 廻りを囲む県庁掘が、県指定史跡になっている。
夕日岳・薬師岳 閑散としている小江戸、蔵の街で、唯一人だかりができている、巴波(うずま)川の遊覧船。

交易の要衝だった舟運の町。そのイメージで蔵の街を眺めることができる。

鯉のぼりを見て、そういえば端午の節句だったかと思い返した。
閑散としている小江戸、蔵の街で、唯一人だかりができている、巴波(うずま)川の遊覧船。 交易の要衝だった舟運の町。そのイメージで蔵の街を眺めることができる。 鯉のぼりを見て、そういえば端午の節句だったかと思い返した。
夕日岳・薬師岳 午後二時の開店に合わせて、嘉右衛門町を散策していた。ちょうどよい時刻に、お目当ての「玉川の湯(金魚湯)」に到着。

創業明治22年の外観が素晴らしい。そして、番台のおばちゃんのパーソナリティも素晴らしい。

開店直後なのに、もう地元の方が数名入浴中だった。金魚湯という名前の所以は、浴場のペンキ画(波濤の岬に海中の熱帯魚という破天荒な作画)の中央に、水槽が埋め込まれており、金魚が泳いでいることからだろうか。

しかし、この肝心の水槽内に、照明が無い。なので、薄暗い中に、金魚がたゆたうと云う、なんとも不気味な光景となっている。夜になると、なにか点灯するのだろうか。なんだか、しないような気がする。

しかし、そんなことは些細な事象に過ぎない。日替わり湯の本日は、ワイン湯。入浴剤メーカーとのコラボである旨を記したものが貼ってあるが、濃厚な紫色の湯は何とも云えない気分であった。

しかし、昨日は「牛乳湯の日」だったようなので、ワイン湯は僥倖だったのかもしれない…。(決して金魚湯さんを貶している訳ではありません。風情があり、活気のある、素晴らしい銭湯でした)

湯上がりで気分の良いまま、程近い場所にある筈の食堂へと歩いていく。しかし、残念なことに、定休日なのかどうか判別できない感じで、閉まっていた。

止むを得ず、栃木駅に向かうが、駅前周辺はなんとも殺風景で、商店街の類は無い。駅構内に、なぜかチェーン系居酒屋が二軒並んでおり、ランチ営業を主張するのぼりが立っているのだが、どちらも閉まっている。

ふたたび駅前に出て、県道沿いにある牛丼屋チェーンの店に入り、なんとか湯上がりのビールにありつけたのであった。
午後二時の開店に合わせて、嘉右衛門町を散策していた。ちょうどよい時刻に、お目当ての「玉川の湯(金魚湯)」に到着。 創業明治22年の外観が素晴らしい。そして、番台のおばちゃんのパーソナリティも素晴らしい。 開店直後なのに、もう地元の方が数名入浴中だった。金魚湯という名前の所以は、浴場のペンキ画(波濤の岬に海中の熱帯魚という破天荒な作画)の中央に、水槽が埋め込まれており、金魚が泳いでいることからだろうか。 しかし、この肝心の水槽内に、照明が無い。なので、薄暗い中に、金魚がたゆたうと云う、なんとも不気味な光景となっている。夜になると、なにか点灯するのだろうか。なんだか、しないような気がする。 しかし、そんなことは些細な事象に過ぎない。日替わり湯の本日は、ワイン湯。入浴剤メーカーとのコラボである旨を記したものが貼ってあるが、濃厚な紫色の湯は何とも云えない気分であった。 しかし、昨日は「牛乳湯の日」だったようなので、ワイン湯は僥倖だったのかもしれない…。(決して金魚湯さんを貶している訳ではありません。風情があり、活気のある、素晴らしい銭湯でした) 湯上がりで気分の良いまま、程近い場所にある筈の食堂へと歩いていく。しかし、残念なことに、定休日なのかどうか判別できない感じで、閉まっていた。 止むを得ず、栃木駅に向かうが、駅前周辺はなんとも殺風景で、商店街の類は無い。駅構内に、なぜかチェーン系居酒屋が二軒並んでおり、ランチ営業を主張するのぼりが立っているのだが、どちらも閉まっている。 ふたたび駅前に出て、県道沿いにある牛丼屋チェーンの店に入り、なんとか湯上がりのビールにありつけたのであった。

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