活動データ
タイム
02:49
距離
2.2km
のぼり
231m
くだり
229m
活動詳細
すべて見るある日、いのっくさんから入電(LINE) 雪の三嶺で脚部骨折 そして即席松葉杖や匍匐前進等で自力生還 地獄から蘇った男ぶりさん復帰第一弾への召集がかかった 知る人ぞ知る「高知県側から登る」シリーズのぶりさん 剣山を始め数々の山を高知県側から登る事にこだわった伝説の山行 きっと男塾塾長 江田島平八のような人物に違いない 第二次大戦中BURIがあと10人いたらアメリカは敗北していただろうと言わせしめた男 生ける伝説の生還後復帰第一弾なのだ 粗相があってはいけない 身が引き締まる思いでその日、集合場所の工石山隧道前で到着をまっていた 先に到着していたいのっくさんと入念な打合せをしていると 無事おつとめ(治療)から復帰したぶり塾長到着 江田島平八のような風貌を想像して緊張していたが現れたのは物静かな面持ちの男性 ほっとする いや!待て!人を見かけで判断するのはまずい 少しでもヘマをすれば優しい顔とは裏腹に油風呂のようなしごきを強要するかもしれないのだ むしろ優しい顔で中身が平八の方が怖い 平静を装って挨拶するが心の中ではシーザー・ツェペリのように猫立ちの状態でどの方向からの攻撃でも瞬時に対応できるよう臨戦態勢で臨むのだった しかし登山口までの道中でそんな心配は払拭される ぶり塾長は理不尽に撲針愚や直進行軍を強要する人ではなかったのだ 登り始める頃にはすっかりY談などぶちかますようになっていた 男が3人集まれば当然の反応ではあるが 昭和30・40年台男ともなれば、さらに健康の話しが加わる 血圧が高い 胃腸が弱くなった 五十肩で腕が上がらなくなった 腰が痛い 膝が痛い 山行のダメージが抜けなくなった等々 診療所の外来待合室で繰り広げられる話しと大差ないのだ 山歩きという健康的な状況の中で繰り広げられる加齢による不調の話しが涙をさそう 歳を重ねてきたが故の悲しい男たちの詩が笹ヶ峰にいつまでも響いていた 完 あ、アクシデントもなく無事下山して温泉でも山と健康の話しが止まんなくて2時間くらい露天でだべってました ぢゃ、またYAMAPで
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