「なかなかハードなコース 英彦山 玉屋神社~鬼杉~南岳~中岳コース」

2021.04.03(土) 日帰り

注意情報

この活動日記は、現在は立入禁止となっている区域を含んでいる可能性があります。
事前に現地の最新情報を確認して行動をしてください。

立入禁止区域を確認する

チェックポイント

DAY 1
合計時間
5 時間 52
休憩時間
1 時間 9
距離
8.1 km
のぼり / くだり
906 / 899 m
17
41
1 12
49
22
18

活動詳細

すべて見る

丁度一週間前の土曜日。お騒がせした「遭難未遂」は、後日色んな方からお声をいただき感謝だ。冷静に振り返ると、先輩が膝の違和感を訴えた坊がつるで撤退するのがベストの選択だったと思う。無事に生還できたから言えるのだが、いい経験になった。先日、先輩に膝の調子を訊くと、やはり腸脛靱帯炎だったようだ。「これから週に二回宝満登って、ジムで筋トレするよ」。どこまでも前向きな人だ(笑)。 そんなことがあってもやはり山がオッサンを呼んでいる(苦笑)。先週同じ日に奥さんと韓国岳を登った相棒に探りを入れると、「山は膝のこともあるから隔週にしようかな」とほざく。「土曜日は天気よさそうだけどなあ。俺一人で行くか」とやんわり懐柔すると、「行こうか」と見事に釣れた。 登る山は昨年8月以来の英彦山。これまで豊前坊、正面の2コースを登ったが、今回は比較的楽なバードラインコースを登ろうかとしていたが、登山記録を眺めていると、見つけた面白そうなコースがこのコースだ。  8時半前に駐車場に到着。天気は良さそうだ。今日もアルプスのトレーニングで2キロの水を2本ザックに詰めた。この他、先週の反省を生かして、ライト3個、非常食も詰め込み、ガスも少なくなったので一個追加して、7キロくらいか。これが後で効いてくるとは露ほども思わなかった。  参道への舗装道沿いにはまだ桜が残っている。平地は散っているが高度600メートルではまだまだ桜が粘っている。もっと上では恐らく満開かもしれない。と、参道の茶屋のおじさんが鬼杉に行く私たちに「桜はまだもってるようぢやね」と声をかけてくれた。 幣奉殿までの長い階段をえっちら黙々と登って参拝。それから階段登って直ぐに右のコースに入った。なかなか歩きやすい道が続く。グループを追い越させてもらって、オッサン達は玉屋神社の方に向うが、後ろのグループは違うコースに入ったようだ。それからアップダウンが暫く続き少々骨が折れた。 ようやく玉屋神社に到着。おお!来た甲斐があった。巨大な岩と拝殿。そして後ろを振り返ると、山桜が緑の山肌に鮮やかに咲き誇っている。手前の大桜は満開。風で下から花びらが蝶のように舞っている。茶屋のおじさんが言っていたのは、この桜のことだったのか。供物を具えて熱心にお参りしている人がいた。英彦山の真髄を垣間見た気がする。 「玉屋神社」 英彦山の古い記録「彦山流記」では彦山の始まりは、玉屋窟であるといわれています。彦山の開祖はこの窟で修行した、恒雄という人だったのです。恒雄は、この窟でながいあいだ一心不乱に修行を積んで、如意の宝珠(世の中の人々を救うためにたいへん役立つ不思議な力を持つ珠)を授かりました。その珠は窟の奥から小さな倶梨伽羅(竜)が口にくわえて細い水の流れにのって現れたのです。珠が出現したことから、それまで般若窟と呼んでいましたがそれを改めて、玉屋窟と呼ばれるようになりました。英彦山には修行のための窟が49ヵ所あったということで、いままでの調査では48ヵ所まで推定できています。まだあと1ヶ所だけ分かっていません。この近くに、岸壁に板碑の形を刻んでいる所があります。しかし、そこは山歩きになれた人でないと寄りつかないような場所で、地元の人たちもあまり行きません。英彦山の寺は、はじめ霊山時といっておりましたが、弘仁13(822)年、嵯峨天皇より、「日子を改めて彦となし、霊山を霊仙に改め、四方七里を寺の財産とし、比叡山に準じ3千の僧を置き、天台の教えを学ばしめ、70州を鎮めて海宇の豊かなることを祈れ」とお言葉をいただき、以後彦山・霊仙寺となりました。(添田町ホームページより) 参拝を終え、一路鬼杉へ向うが、この道もアップダウンが激しい。ただ、谷筋でさえずる鳥の声に癒される。特にオオルリの鳴き声は思わず足を止めて聞き惚れた。杉の大木がちらほらと現れてきた。これより大きい鬼杉に期待が膨らむ。到着。見上げると首が疲れるくらい高い。しかもまだ生き生きとしている。 「鬼杉」福岡県最大級の巨木で、林野庁発表の「森の巨人たち百選」にも選定されています。樹齢は1,200年以上とされ、幹の周囲は約12.4m、高さは上部が落雷で欠損しているものの、約38mあります。 また、この鬼スギには次のような言い伝えがあります。 昔、鬼たちが住居を求めてヒコサンにやってきた。権現様は大変に困り、「一夜のうちに家をつくることができたら許してやろう」とおっしゃった。怠け者の鬼たちにはできるはずがない、と思っていたが、鬼たちは大変に精をだして家づくりにはげんだ。 そして、とうとう、夜明けをつげるニワトリの声が聞こえぬうちに、完成してしまいそうになった。慌てた権現様は、竹の傘を両手に持ち、バタバタと鳥の羽ばたきをまね、鳴きまねをした。それを聞いた鬼たちは、「夜明けがきてしまった」と残念そうに、材料をそのままにして逃げて行った。その時残された材料が『材木石』となり、鬼の首領が逃げる途中で大地に指した杉の杖が『鬼杉』となったという。(添田町ホームページより)  それまで登山客と全く出会わなかったが、ようやく南岳から降りてきた登山者と遭遇。会社をリタイヤした70歳の男性は英彦山にしょっちゅう登っているという。しばら山談義を楽しんだ。  さて、これから南岳、中岳を目指す。その前に大南神社に寄る。英彦山権現12社の1社で祭神は天火明命(不動明王)だそうだ。祭神を拝ませてもらおうと拝殿らしき戸を開けると、どうも人が常駐しているようでお香の香りがする。さすが山岳信仰のメッカだ。懐が深い。 さて本コースに戻る。と、しばらくするとガレた急登。胸突き八丁が延々と続く。鬼杉までのアップダウンが効いてきたのか、きつい…トレーニング用に余分に詰めた2リットルが恨めしくなってくる。しばらくすると、「材木石」、柱状節理(ちゅうじょうせつり)に出会うがきつ過ぎて写真を撮る気も起きない。  ようやく平坦な場所に出て一息。南岳まではまだまだ。さらに急登、幾つかの鎖場が続く。頂上手前の鎖場で下りてくるご婦人に道を譲る。「やっぱり鬼杉、いいですか?」と訊かれたので、「見る価値ありますよ。その先の玉屋神社の桜は見事でした」。彼女たち無事に見ることができただろうか。  ふらふらになりながら、何とか南岳頂上に到着。かなり先を歩いていた相棒も「きつかったな~」と流れる汗を拭っている。さっき追い越した女性二人が登ってきて「こんなにきついなんて」とオッサン達に愚痴をぶつけてきた(笑)。  山飯は中岳の上宮付近で食べようと、下って登って到着するが、何と上宮は倒壊の危険があるので立ち入り禁止になっていた…去年8月に来た時は参拝できたのに残念。いち早い復旧を願う。  迂回路で上宮裏の休憩場所で山飯を食べた。いつものウィナーとお神酒。生き返った。下山は正面コースを下り、無事に下山。前週の大船は精神的に疲労したが、今回のコースは体力的にかなりこたえた。アルプス挑戦するにはまだまだ鍛錬しないといけない。  しかし、英彦山の魅力にまた出会えたのは幸いだった。他に「梵字ヶ岩」「磨崖仏」を辿るコースもあるようだ。いつか歩いてみたい。 さていつものように打ち上げ。アルプスの計画を練る。槍ヶ岳か奥穂高かどちらにするか検討していたが、奥穂高に決定した。先週一緒した先輩の希望で上高地からのコース。相棒からは涸沢をベースキャンプにして奥穂高、前穂高を縦走しようと提案された。モデルコースは涸沢で一泊して、翌日奥穂高を目指して、奥穂高山荘に泊って翌日一気に下山というものだが、奥穂高山荘から一気に上高地まで下山するのはかなり疲労するだろうから涸沢で2泊した方がいいという。確かに。これで目標とコースが決まった。 録画で奥穂高登山を観る。難所「ザイテングラート」はかなり面白そうだが、きつそうだ。 さて、これから一仕事。 令和3年の山行は11回目。21ピーク(重複無し)

もしも不適切なコンテンツをお見かけした場合はお知らせください。