「無事に生還。勇気と判断力が問われた山行 長者原~大船山」大船山

2021.03.27(土) 日帰り

チェックポイント

DAY 1
合計時間
11 時間 26
休憩時間
3 時間 11
距離
14.9 km
のぼり / くだり
1071 / 1071 m

活動詳細

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金曜日の朝にデータを入稿したので、大手を振って入山できる。いつもの相棒は奥さんが九州に来ているので韓国岳登山。土曜は天気はよさそうだが日曜は雨風が酷くなりそうだ。ソロで、と考えたが、オッサン2人組とアルプスに一緒にエントリーした大学の先輩にあたる人に声を掛けると、二つ返事。九重に登ることになった。68歳のこの人とは酒は何度も飲んだが、一緒に登るのは初めて。私よりもかなりの経験者だが、失礼ながら体力と技量を拝見させてもらおう。先方もオッサンの登り癖を見られたいだろう。  朝3時過ぎに起きた。昨夜の酒が残っているが、毎度のこと。福岡市近郊の自宅に向う。4時過ぎに出立。先々週に牧の戸から久住に登ったので、大船に登ろうと検討する。長者原、吉部(よしぶ)、男池(おいけ)からそれぞれのアプローチを検討する。う~ん、個人的にはやはり4年ぶりの長者原にしたい。ただ、距離が長いし時間が一番かかる。距離15キロ、オッサンのペースだと恐らく7、8時間のロングコースだ。 提案すると、快諾されたので、まずは長者原に向う。九重(ここのえ)インターを下りて九酔峡方面に向う。ところが…通行止め。数ヶ月前には通れたのになんでだろう。元に戻って、町田バーネット牧場がある農免道路経由で向った。  タイムロスは少なく、7時半に到着。今日は天気がよさそうだがら多かろうと思っていたが意外に少なく第一駐車場に初めて停めることができた。幸先いい。  天気もよさそうだ。九重連山のコースの中で、このコースがいちばん好きだ。樹林帯あり、草原あり、歯ごたえある登りありで色々楽しめる。ただ、時間がかかるので、ソロかそこそこ体力あるパートナーと登るに限る。  湿原の木道を歩いて樹林帯に入る。先輩に先に歩いてもらう。大山以来四ヶ月だから少々不安だと言うが、ペースはゆっくりだが、しっかりした足取りで少し安心する。こちらはいつものペースの9、8割くらいなので、息も上がらず気持ちよく歩ける。最後の急登を登りきると雨ヶ池~坊がつるまでは緩やかな道が続く。天気はいいし、二人でアルプスの話をしながら楽しく歩いた。  坊がつるが見えた。先輩は坊がつるがお気に入りのようで、キャンプしたこともあるという。大船は二十数年ぶりに登るそうだ。 すると遠くに軽トラ数台と団体が見える。何だろうと思いながら歩いていくと、これから野焼きするそうで、私たちがキャンプ場に着いたら火をつけるという。阿蘇の野焼きは有名だが、ここも野焼きするのは初めて聞いた。  坊がつるからは一気に500メートル以上の高度を稼ぐ。先輩の様子を訊くと、少し膝に違和感があるという。「大丈夫ですか?」「うん、いけるよ」。ということで登り始めた。オッサンは相変わらずノーストックだが、先輩はストック2本使っている。最初は岩を越えないといけない箇所があるので、その度にストックを預かる。先輩の疲労が出てきたと感じるが、ゆっくり登ればいけるだろう、と思っていると、左膝が少し痛み始めたという。 「頂上取っ付きの段原(だんばる)までまだ結構な登りなので引き返しますか?」ここがこの日の決断のポイントになった。「いや、段原までとりあえず行こう」。行けるところまで行きたい。山好きの気持ちはよく分る。了承してゆっくりペースでそのまま登る。この登りは何度も登ったが、きつい。しかし、今日はゆっくりペースなので全く息が上がらない。  先輩の体力の消耗と膝の痛みはやはり酷くなっていく。オッサンもマラソン3回とも20キロ地点でいわゆるランナーズニー、腸脛靱帯炎になって残りを地獄の行進を余儀なくされた経験がある。恐らくそれだろう。下りが思いやられる。しかし、そのまま登って段原に到着。山頂を見上げると少しガスが出てきた。今振り返れば、先輩には新しく出来た避難所で待ってもらって、オッサンだけ頂上に登るという手もあったはずだが、ここまで来てピークをハントしない選択肢はなかった。先輩の荷物を避難所にデポ。オッサンはアルプスへの鍛錬のつもりでザックをそのまま背負って登り始めた。今日は前回より2キロ少ない7キロを背負っている。  後ろから先輩の状況見ると、少々厳しい。それでも何とか頂上にたどり着いた。頂上まで5時間近くかかってしまった。いつもなら4時間切るのだが、仕方がない。天気はこれから下り坂なのだろう。風が強くなってきた。少し下って御池を見て、そそくさと下山。避難所で山飯。すでに1時を回っている。ここでこれからを相談する。膝の調子を聞くと、もう一方の膝も違和感を覚え始めているという。法華院温泉に泊る手もある。この調子だと坊がつるに辿り着くには、3時半を優に過ぎるだろう。まずは坊がつるに着いてから判断しようとなって下山を開始。  今度は私が前を歩く。かなりゆっくり下りるが、すぐにストックの音が聞こえなくなるので、何度も立ち止まり、姿が見えたら安心して再び下りるというパターンを数回繰り返す。ついに10分以上待っても下りてくる気配がない。先に下りて温泉に電話しようとそのまま少しペースを上げて下りた。新しい靴の安定感は抜群で、この日唯一の収穫だった。 坊がつるに着くと、一面真っ黒。坊がつるのこんな光景みたことがない。しばらくして温泉に電話する。今予約してもらわないと言われるが、まだ決断できない。仮に泊ったとしても翌日歩けるかどうかも分らないし、予報では風が20メートル以上吹いて、雨も降りそうだ…予約を断念する。  待つこと1時間。ようやく先輩が下りてきた。すでに4時を回っている。下山しか道はない。ライトを準備して坊がつるを後にする。ゆっくり歩いて待って姿見えたらまた進んだ。ようやく雨ヶ池に着いた。まだ日は沈んでいない。明るいうちに急坂をクリアできればあとは何とかなると自分に言い聞かせるが、先輩の速度は見る見る間に落ちている。  日没は6時半過ぎだろう…そう焦りながら急坂途中で待つ。ようやく姿が見えた。「屈伸すると少しは良くなるから、先に下りてくれ」「携帯出しておいてください」「それが…車に置いてきた」絶句…オッサンがこのまま一人で下りても連絡の取りようが無い。かなり迷った。暗くなる前に駐車場で待機して状況次第では救助を呼ぶか。それとも一緒に下りるか。迷ったが、オッサンの本能はそのまま急ぎ足で下りることを決断。急ぎ足で一気に下りる。日没とタイムレースしながら、あのまま置いてきぼりにしてよかったのだろうかと後悔の念が湧き出る。万一、道迷いしたり転んだりしたら…ネガティヴな想像が次々と脳裏に浮かぶが、身体は猛スピードで山を下っている。ようやく平坦な道に出た。日没寸前だ。少し道をロストしたが、何とか木道に戻り駐車場に着いた時は完全に日は沈んでいた。6時56分。 トイレ入り口近くのベンチに座る。風が強くなってきた。さて、どうするか・・・待つしかないか…1時間がリミット。その間、ライトを点けて2回ほど木道の入り口に行って暗い森に目を凝らすが、ヘッドライトの光は見えない。三俣山から吹き降ろす風が強くなってきた。ついに8時を回った。迎えに行くことを決断し、真っ暗な森に向った。 なかなか光が見えない。不安を抱えながら急ぎ足で下りてきた道を登る。登りは道が目線の上にあるので迷いにくい。 駄目か?いやいや経験豊富だから何とか下りてくれているだろう。時間がかかっているだけだ。不安と信頼がない交ぜになる。30分ほどして遠くに何かチラリと見えた。少し進んで目を凝らすと、明かりだ。 60年生きてきた中で、恐らく一番安堵した瞬間だった。大声で名前を呼ぶが、返事は無い。しかし、明かりはしっかりと動いている。もどかしいのでさらに登ると、ようやく出会えた。  訊くと、とにかくリボンを必死に探しながら下りたという。「もう離さないですよ」。先に歩いて道先案内しながらゆっくり歩いた。よかった!無事でという気持ちで一杯になる。 先輩が車に着いたのは9時。およそ13時間半。帰りの車中で猛省会。 判断のポイントは、やはり膝に違和感を覚えた時だろう。少しでも体調に異変があったら撤退すべきだった。 次のポイントは宿に泊ればよかったか。これは難しいところだが、翌日の荒天、膝の調子が戻っているかどうかを考えると、結果オーライかもしれないが、そのまま下りて正解だったか。 オッサンが先に下りた判断は、先輩は正解だと言ってくれた。二人とも帰れなければ救助の手配をする人間がいない。これも結果論かもしれない。 もし、先輩が道迷いしていたら、迎えに行ったオッサンとすれ違いになって、事態はさらに深刻になっていただろう。真っ暗な森の中で出会えたのが奇跡にも思える。 さて、これまで山に登ってきて、これだけ肝を潰し、焦り、悲観し、そして安堵した経験はない。この経験をこれからしっかり行かそう。 ということで先輩は筋トレに励むと早くも目標を見つけたようだ、そして「上高地から登って一泊目の山小屋で無理だと思ったら置いていってね。俺は山小屋で酒飲んだり、その辺を無理なく歩くから」 この先輩、しぶとい… 令和三年の山行は10回目。19ピーク(重複無し)

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