春うらら②☀️✨ 西国街道~桜山(亀居城跡) 廿日市市/大竹市-2021-3-24

2021.03.24(水) 日帰り

チェックポイント

DAY 1
合計時間
3 時間 39
休憩時間
36
距離
7.7 km
のぼり / くだり
274 / 258 m
2 29
10

活動詳細

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週末は天気がぐずつく予報なので、大竹市の亀居城跡の桜🌸を見に行くことにした フォロワーさん情報では、桜の見頃はもう少し先のようだが、のんびりするには丁度良かった😊 桜🌸は、翌週まで楽しめそう! 亀居城跡だけではアッという間に終わるので、午前中は廿日市の西国街道を歩いてみることに… 3/17に「残念さん」を歩いており、ネットでも調べていたが分かりにくい所も有りました 《西国街道》(京都から下関・九州へ至る江戸時代の幹線道路) ※広島浅野藩の家老上田重安(宗箇)が、藩内の街道整備に着手し、広島城下を基点に元安橋から芸防国境“木野川渡し”(現小瀬川)まで、街道に松を植え、一里ごとに塚を立て休息の場を作った

経小屋山 宮浜温泉駐車場から向原バス停🚏🚌方面に歩き、少し下ったこの地点からYAMAPスタート
宮浜温泉駐車場から向原バス停🚏🚌方面に歩き、少し下ったこの地点からYAMAPスタート
経小屋山 舗装路面の下に当時の街道の石畳を保存しています
舗装路面の下に当時の街道の石畳を保存しています
経小屋山 見頃のオオヤマザクラ
見頃のオオヤマザクラ
経小屋山 向原バス停横の案内図
「古代山陽道の史跡」
右の舗装道は民家に続く道
左に降りて石畳に進みます
向原バス停横の案内図 「古代山陽道の史跡」 右の舗装道は民家に続く道 左に降りて石畳に進みます
経小屋山 向原石畳   萩往還と似た雰囲気の街道
向原石畳 萩往還と似た雰囲気の街道
経小屋山 この道に入ると畑が有り、山陽道に突き当たって行き止まり
この道に入ると畑が有り、山陽道に突き当たって行き止まり
経小屋山 紅梅が残っていた
紅梅が残っていた
経小屋山 貯水施設の手前に、今川貞世の歌碑
「浪の上に  藻塩焼くかと  見えつるは  蜑の小舟に  たく火なりけり」
※室町幕府第3代将軍の足利義満から、九州探題の職に任ぜられた今川貞世が、任地に向かう途中、応安四年(1371年)九月二十一日に大野を通りかかり、その美しい景色を紀行文「道ゆきぶり」に歌としてしたためた。
大野地区の他2箇所に歌碑が有る
貯水施設の手前に、今川貞世の歌碑 「浪の上に 藻塩焼くかと 見えつるは 蜑の小舟に たく火なりけり」 ※室町幕府第3代将軍の足利義満から、九州探題の職に任ぜられた今川貞世が、任地に向かう途中、応安四年(1371年)九月二十一日に大野を通りかかり、その美しい景色を紀行文「道ゆきぶり」に歌としてしたためた。 大野地区の他2箇所に歌碑が有る
経小屋山 満開のレンギョウ
満開のレンギョウ
経小屋山 山陽道高架下を潜ります
山陽道高架下を潜ります
経小屋山 宮浜温泉  海望の源泉地
ここで水分補給
宮浜温泉 海望の源泉地 ここで水分補給
経小屋山 左に折れて残念社に向かいます
左に折れて残念社に向かいます
経小屋山 暫く車道歩き
暫く車道歩き
経小屋山 再び山陽道高架下を潜ります
再び山陽道高架下を潜ります
経小屋山 ここから山道
ここから山道
経小屋山 木にクリップされた道標
落ちる心配は無さそう
木にクリップされた道標 落ちる心配は無さそう
経小屋山 ヤマザクラ
ヤマザクラ
経小屋山 ざんねんさん砦  新しい石標です
ざんねんさん砦 新しい石標です
経小屋山 砂防堤の向こうに経小屋山の岩肌
砂防堤の向こうに経小屋山の岩肌
経小屋山 残念社に到着
この残念社と、次の依田神社一帯を「残念さん」と言うようです
残念社に到着 この残念社と、次の依田神社一帯を「残念さん」と言うようです
経小屋山 四十八坂の古戦場と  残念社
慶応2年(1866)7月9日、四十八坂を単騎で西に向かって馳やる幕府軍の武士がいた。これを見た長州軍は戦闘員だと勘違いをして、狙撃してしまった。
その武士は「残念」と言って倒れた。
後にこの武士は、丹後宮津藩士の依田伴蔵とわかった。
四十八坂の古戦場と 残念社 慶応2年(1866)7月9日、四十八坂を単騎で西に向かって馳やる幕府軍の武士がいた。これを見た長州軍は戦闘員だと勘違いをして、狙撃してしまった。 その武士は「残念」と言って倒れた。 後にこの武士は、丹後宮津藩士の依田伴蔵とわかった。
経小屋山 当時最も険しかったとされる八坂
多くの往来が有った当時が偲ばれる
当時最も険しかったとされる八坂 多くの往来が有った当時が偲ばれる
経小屋山 1週間前に来た三県一望の地
宮島が見えます
1週間前に来た三県一望の地 宮島が見えます
経小屋山 残念さんからの眺望
残念さんからの眺望
経小屋山 左に宮島  その向こうに阿多田島
中央は可部島  右に大竹コンビナート
吉田松陰が見た周防大島は霞んで見えず
左に宮島 その向こうに阿多田島 中央は可部島 右に大竹コンビナート 吉田松陰が見た周防大島は霞んで見えず
経小屋山 三県一望の地を真っ直ぐ山に向かう
ベンチが有りました  宮島が見えます
三県一望の地を真っ直ぐ山に向かう ベンチが有りました 宮島が見えます
経小屋山 依田神社本殿
 県立宮島工業高校建築科による修復
平成28年大野十区民の奉賛金で修復が行われたようです
ポン吉とSUNSETさんWA ROCK📸
依田神社本殿 県立宮島工業高校建築科による修復 平成28年大野十区民の奉賛金で修復が行われたようです ポン吉とSUNSETさんWA ROCK📸
経小屋山 神社から降って再び三県一望の地
鳥居手前の岩が、吉田松陰腰掛けの岩

「親思う  心に残る親心 今日の訪れ  何と聞くらむ」
西国街道を通って江戸に護送される途中、吉田松陰は最も難所とされた八坂峠のこの岩に腰をかけると、遥か故郷の島である大島を見ることができた。
故郷に、父母に思いを馳せた松陰は、「この場こそ、三県一望の地である」と故郷に別れを告げたと伝えられている。
神社から降って再び三県一望の地 鳥居手前の岩が、吉田松陰腰掛けの岩 「親思う 心に残る親心 今日の訪れ 何と聞くらむ」 西国街道を通って江戸に護送される途中、吉田松陰は最も難所とされた八坂峠のこの岩に腰をかけると、遥か故郷の島である大島を見ることができた。 故郷に、父母に思いを馳せた松陰は、「この場こそ、三県一望の地である」と故郷に別れを告げたと伝えられている。
経小屋山 再び西に向かって歩きます
再び西に向かって歩きます
経小屋山 西国街道(歴史の散歩道)
区民ふれあい道路が記されています
西国街道(歴史の散歩道) 区民ふれあい道路が記されています
経小屋山 八坂墓所から通った道を振り返ります
この後、西国街道が分からなくなり団地内をさ迷いました
八坂墓所から通った道を振り返ります この後、西国街道が分からなくなり団地内をさ迷いました
経小屋山 山陽道の山側を歩いて道標を見つけました
根元が朽ちて立て掛けて有った
山陽道の山側を歩いて道標を見つけました 根元が朽ちて立て掛けて有った
経小屋山 山陽道のフェンスにも立て掛けて有った
山陽道のフェンスにも立て掛けて有った
経小屋山 山陽道の向こうに大竹コンビナートが見える
山陽道の向こうに大竹コンビナートが見える
経小屋山 山陽道高架下に道標が有りました
これから海側に降りるので、ここで終了
宮浜温泉駐車場に戻りました
山陽道高架下に道標が有りました これから海側に降りるので、ここで終了 宮浜温泉駐車場に戻りました
経小屋山 宮浜温泉駐車場から車で移動
youmeタウンで幕の内弁当を買い、亀居公園駐車場へ到着
宮浜温泉駐車場から車で移動 youmeタウンで幕の内弁当を買い、亀居公園駐車場へ到着
経小屋山 車道脇のタチツボスミレ?
車道脇のタチツボスミレ?
経小屋山 五分咲きといった所でしょうか?
五分咲きといった所でしょうか?
経小屋山 石本美由紀  詩の坂道案内図
九箇所に歌碑が有る
大竹市出身の作詞家です
石本美由紀 詩の坂道案内図 九箇所に歌碑が有る 大竹市出身の作詞家です
経小屋山 亀居城跡
慶長8年(1603年)福島正則によって築かれた。 慶長6年(1601年)関ヶ原合戦後、尾張国清洲より安芸国広島五十万石に加増転封となった福島正則が、防長二カ国に減封となった毛利氏との国境に近い地に築いたのが亀居城である。
天守を揚げた近世城郭で、甥の福島伯耆守を城主とした。しかし完成間もない慶長16年(1611年)廃城となった
亀居城跡 慶長8年(1603年)福島正則によって築かれた。 慶長6年(1601年)関ヶ原合戦後、尾張国清洲より安芸国広島五十万石に加増転封となった福島正則が、防長二カ国に減封となった毛利氏との国境に近い地に築いたのが亀居城である。 天守を揚げた近世城郭で、甥の福島伯耆守を城主とした。しかし完成間もない慶長16年(1611年)廃城となった
経小屋山 なしの丸
なしの丸
経小屋山 アセビの咲いた、詩の坂道を歩いてみます
アセビの咲いた、詩の坂道を歩いてみます
経小屋山 矢切の渡し
🎶  連れて逃げてよ  ついておいでよ
夕ぐれの雨が降る 矢切の渡し
親のこころに そむいてまでも
恋に生きたい ふたりです 🎶

さらば青春👋
大好きな🎶 「悲しい酒」は写し忘れた
矢切の渡し 🎶 連れて逃げてよ ついておいでよ 夕ぐれの雨が降る 矢切の渡し 親のこころに そむいてまでも 恋に生きたい ふたりです 🎶 さらば青春👋 大好きな🎶 「悲しい酒」は写し忘れた
経小屋山 シデコブシ?と桜🌸
シデコブシ?と桜🌸
経小屋山 亀居城築城四百年記念樹
記念樹はどれだろう?
亀居城築城四百年記念樹 記念樹はどれだろう?
経小屋山 石段を登ります
石段を登ります
経小屋山 立派な石垣が現れる
亀居城は破却された後、永い眠りに入り、その跡地は「城山」と呼ばれていた。
天守台や城の石垣の跡を発見できたのは、破却から370年後、昭和50年代で、亀居城の頂上付近を史跡公園とすることなり、工事が開始された。
その工事の最中、昭和52年(1977年)天守閣西側の石垣が現れ、広島県の指導により、大規模な文化財調査が実施された。
立派な石垣が現れる 亀居城は破却された後、永い眠りに入り、その跡地は「城山」と呼ばれていた。 天守台や城の石垣の跡を発見できたのは、破却から370年後、昭和50年代で、亀居城の頂上付近を史跡公園とすることなり、工事が開始された。 その工事の最中、昭和52年(1977年)天守閣西側の石垣が現れ、広島県の指導により、大規模な文化財調査が実施された。
経小屋山 歴史の散歩道「西国街道大竹路を歩こう」案内図
大竹の西国街道も何か気になる!
歴史の散歩道「西国街道大竹路を歩こう」案内図 大竹の西国街道も何か気になる!
経小屋山 本丸跡に登ります
本丸跡に登ります
経小屋山 本丸跡から
桜🌸はまだ少し早いようです
本丸跡から 桜🌸はまだ少し早いようです
経小屋山 大竹コンビナートの向こうに阿多田島
大竹コンビナートの向こうに阿多田島
経小屋山 最近、山頂登録されたようです
桜山80m(最高地点は立入禁止)
Pon吉とSUNSETさんWA ROCK📸
最近、山頂登録されたようです 桜山80m(最高地点は立入禁止) Pon吉とSUNSETさんWA ROCK📸
経小屋山 二の丸跡
ここのベンチで昼食(弁当)
二の丸跡 ここのベンチで昼食(弁当)
経小屋山 歌と故郷と思い出と  (九番目歌碑)
人それぞれの人生を  描いて生きて五十年
残り火燃やす今日の日の
杯  乾かしてしみじみと
幾歳月を語ろうか  歌と故郷と思い出と
歌と故郷と思い出と (九番目歌碑) 人それぞれの人生を 描いて生きて五十年 残り火燃やす今日の日の 杯 乾かしてしみじみと 幾歳月を語ろうか 歌と故郷と思い出と
経小屋山 遊歩道を歩いてみます
遊歩道を歩いてみます
経小屋山 詰の丸跡
詰の丸跡
経小屋山 城に登って来るつづら折りの道
どこから登るのかは分からない🤷‍♂️
城に登って来るつづら折りの道 どこから登るのかは分からない🤷‍♂️
経小屋山 石垣に鮮やかなスミレ
石垣に鮮やかなスミレ
経小屋山 西側の石垣
西側の石垣
経小屋山 幹から出た新芽の桜
幹から出た新芽の桜
経小屋山 石垣には刻印が有るようです
石垣には刻印が有るようです
経小屋山 見頃の桜🌸を眺めて駐車場へ戻った
見頃の桜🌸を眺めて駐車場へ戻った

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