春うらら①☀️経小屋山~城山 廿日市市-2021-3-17

2021.03.17(水) 日帰り

チェックポイント

DAY 1
合計時間
6 時間 44
休憩時間
56
距離
8.0 km
のぼり / くだり
763 / 847 m
7
1 17
19
45
1 49
21
17

活動詳細

すべて見る

桜開花のニュースが流れているが、苦手な檜花粉の飛散も始まっている 幸い黄砂の帯は日本海側を覆っているので、宮島の対岸に有る経小屋山に向かう 宮浜温泉側から登り、妹背の滝に降りるコースとしたが、春の陽気に誘われのんびりし過ぎて下山が大幅に遅れてしまった 1️⃣以前から気になっていた「残念さん」に立ち寄る 2️⃣久々に訪れた経小屋山森林公園一帯を散策する 経小屋山は見晴らしを遮っていた高木が広範囲に伐採され、眺望は随分良くなっていた 経小屋山~城山の縦走ルートは、シダが刈られて快適に歩けたが、日没が迫り懸命💦に歩くも凄く遠くに感じた 最初は友人との話が弾んだが、日没が迫るとお互い無口に! 時間配分を誤り、反省の多い山行となった これから暑くなるので、無理のない計画を立てて挑みたい

経小屋山 露出した岩肌の経小屋山を麓から見上げる
露出した岩肌の経小屋山を麓から見上げる
経小屋山 山陽道上り線から見える「残念さん」の看板
気になっていたので登山前に寄ってみました
山陽道上り線から見える「残念さん」の看板 気になっていたので登山前に寄ってみました
経小屋山 山陽道に架かる「ざんねんさん橋」を渡ります
山陽道に架かる「ざんねんさん橋」を渡ります
経小屋山 西国街道  「三県一望の地」です
「吉田松陰休憩の場」のプレートも有りました
西国街道 「三県一望の地」です 「吉田松陰休憩の場」のプレートも有りました
経小屋山 残念社に到着
※長州戦争の最中、軍使として長州軍の軍営に向かい、誤って狙撃された幕府軍の丹後宮津藩士・依田伴蔵の祠
死の間際の言葉が「残念」だったことから残念社と名付けられた
残念社に到着 ※長州戦争の最中、軍使として長州軍の軍営に向かい、誤って狙撃された幕府軍の丹後宮津藩士・依田伴蔵の祠 死の間際の言葉が「残念」だったことから残念社と名付けられた
経小屋山 この付近一帯は長州征伐の古戦場である
依田伴蔵遺詠
この付近一帯は長州征伐の古戦場である 依田伴蔵遺詠
経小屋山 依田神社  今日はスルー
西国街道は今度ゆっくり歩いてみたい
約40分のウォーミングアップ終了!
依田神社 今日はスルー 西国街道は今度ゆっくり歩いてみたい 約40分のウォーミングアップ終了!
経小屋山 スタート前、山飯用の水を忘れた事に気付き近くのコンビニに戻って調達  
ここまで車  2台分の駐車スペース
(下に宮浜温泉共同駐車場有り)
ここは標高100m  これから50m毎に標高杭が有ります
スタート前、山飯用の水を忘れた事に気付き近くのコンビニに戻って調達 ここまで車 2台分の駐車スペース (下に宮浜温泉共同駐車場有り) ここは標高100m これから50m毎に標高杭が有ります
経小屋山 レンギョウ
レンギョウ
経小屋山 登山道は良く整備されています
登山道は良く整備されています
経小屋山 山陽道からも見える大きな岩
山陽道からも見える大きな岩
経小屋山 結構キツい直登です
結構キツい直登です
経小屋山 大岩の横を通過
大岩の横を通過
経小屋山 展望所に到着  ここで正午
正面に宮島岩船岳
展望所に到着 ここで正午 正面に宮島岩船岳
経小屋山 経小屋山が近付いて来た
経小屋山が近付いて来た
経小屋山 大きな岩が次々に現れる
大きな岩が次々に現れる
経小屋山 標高300m地点の展望岩からの眺望
宮島岩船岳とカキ筏
標高300m地点の展望岩からの眺望 宮島岩船岳とカキ筏
経小屋山 岩に登れそうだが先に進みます
岩に登れそうだが先に進みます
経小屋山 急登が終わり暫く緩い道
急登が終わり暫く緩い道
経小屋山 再びキツい登りに…
つづら折りの道が続きます
再びキツい登りに… つづら折りの道が続きます
経小屋山 急登が終わった
枯木の向こうに飛行機雲
急登が終わった 枯木の向こうに飛行機雲
経小屋山 妹背の滝コースからの合流点
妹背の滝コースからの合流点
経小屋山 車道に出ると直ぐに山頂
一度車で来た事が有るがすっかり忘れていた
車道に出ると直ぐに山頂 一度車で来た事が有るがすっかり忘れていた
経小屋山 山頂一帯は森林公園として整備されている
山頂一帯は森林公園として整備されている
経小屋山 経小屋山の由来
人皇38代の天智天皇(626~671)の頃、百済を援けた日本軍は、唐新羅の連合軍に白村江で大敗した。爾来、壱岐、対馬、博多、馬関はもちろん、瀬戸内海の要所にも烽(とぶひ)台を設け、防人を配置し外敵に備えた。
天智天皇在位の頃から一切経の写水が流行した。一切経は国内に伝播し各地に経塚、経小屋、経蔵、経祠、経堂が建てられた。大野の経小屋山でも、山頂に看視をつづける防人達が一切経を守り本尊とした。このため、経小屋山の名前が生まれたのではないだろうか。
経小屋山の由来 人皇38代の天智天皇(626~671)の頃、百済を援けた日本軍は、唐新羅の連合軍に白村江で大敗した。爾来、壱岐、対馬、博多、馬関はもちろん、瀬戸内海の要所にも烽(とぶひ)台を設け、防人を配置し外敵に備えた。 天智天皇在位の頃から一切経の写水が流行した。一切経は国内に伝播し各地に経塚、経小屋、経蔵、経祠、経堂が建てられた。大野の経小屋山でも、山頂に看視をつづける防人達が一切経を守り本尊とした。このため、経小屋山の名前が生まれたのではないだろうか。
経小屋山 バックリ割れた岩の先にプレートが…
バックリ割れた岩の先にプレートが…
経小屋山 廿日市20名山  経小屋山のプレート
廿日市20名山 経小屋山のプレート
経小屋山 経小屋山  二等三角点▲596m
宮島弥山より少し高い
経小屋山 二等三角点▲596m 宮島弥山より少し高い
経小屋山 山頂周辺は広範囲に高木が伐採されていた
日陰は寒いので、ベンチで遅い昼飯&コーヒー☕タイム
とても心地良い日和☀️です
山頂周辺は広範囲に高木が伐採されていた 日陰は寒いので、ベンチで遅い昼飯&コーヒー☕タイム とても心地良い日和☀️です
経小屋山 下山前に山頂周辺を散策
右側に宮島弥山  その向こうに似島
宮島連絡船の左側に廿日市市街
広島市街は霞んでいる
下山前に山頂周辺を散策 右側に宮島弥山 その向こうに似島 宮島連絡船の左側に廿日市市街 広島市街は霞んでいる
経小屋山 山頂プレートの裏側に回ってみます
大きな岩が聳えていた
山頂プレートの裏側に回ってみます 大きな岩が聳えていた
経小屋山 森林公園一帯の散策を続けます
西側に有る展望所に向かいます
木段が整備されているが少し荒れ気味
森林公園一帯の散策を続けます 西側に有る展望所に向かいます 木段が整備されているが少し荒れ気味
経小屋山 展望所に到着
展望所に到着
経小屋山 北西側  羅漢山が遠くに見えます
北西側 羅漢山が遠くに見えます
経小屋山 宮島が真正面に見えます
宮島が真正面に見えます
経小屋山 鳴川ルートから玖波駅へのプレート
降りてみます
鳴川ルートから玖波駅へのプレート 降りてみます
経小屋山 西の東屋
あまり使われていない感じ
この先の道も少し荒れている感じ
引き返します
西の東屋 あまり使われていない感じ この先の道も少し荒れている感じ 引き返します
経小屋山 車道脇のアセビ
車道脇のアセビ
経小屋山 再び山頂  少し霞みが取れて来た
昼飯と散策を含めて2時間近く経過してしまった
のんびりし過ぎた!
再び山頂 少し霞みが取れて来た 昼飯と散策を含めて2時間近く経過してしまった のんびりし過ぎた!
経小屋山 下山します
下山します
経小屋山 東屋の有る南展望所に立ち寄ります
東屋の有る南展望所に立ち寄ります
経小屋山 本日ベストのビューポイント
予定通りスタートならここで昼でした
残念!
本日ベストのビューポイント 予定通りスタートならここで昼でした 残念!
経小屋山 至るところにタムシバが咲いていた
至るところにタムシバが咲いていた
経小屋山 妹背の滝に向けて縦走です
妹背の滝に向けて縦走です
経小屋山 木段降りが続きます
木段降りが続きます
経小屋山 所々にビューポイントが有ります
所々にビューポイントが有ります
経小屋山 平坦な道になりました
ツバキも終わりですね!
平坦な道になりました ツバキも終わりですね!
経小屋山 妹背の滝へ向かう分岐
考えた末に城山を目指します
妹背の滝へ向かう分岐 考えた末に城山を目指します
経小屋山 急登を進むと260mピーク
急登を進むと260mピーク
経小屋山 ロープが必要な急登です
城山はもう直ぐ?
ロープが必要な急登です 城山はもう直ぐ?
経小屋山 大きな岩が沢山
「馬のたらい」はスルー
大きな岩が沢山 「馬のたらい」はスルー
経小屋山 3個の大岩  微妙なバランスです
3個の大岩 微妙なバランスです
経小屋山 ミツバツツジ?が咲いていました
ミツバツツジ?が咲いていました
経小屋山 城山四等三角点▲265m
史跡  門山城
鎌倉時代の末から南北朝時代にかけて、厳島神領自衛の必要上、西部から侵入する勢力に対抗するために備えられたと考えられる。
天文二十三年(1554年)5月、毛利方吉川元春軍によって攻められ、城は破壊され、大野氏も滅亡した。
丸穴、角穴、刀掛け、馬のたらい等が有る。
城山四等三角点▲265m 史跡 門山城 鎌倉時代の末から南北朝時代にかけて、厳島神領自衛の必要上、西部から侵入する勢力に対抗するために備えられたと考えられる。 天文二十三年(1554年)5月、毛利方吉川元春軍によって攻められ、城は破壊され、大野氏も滅亡した。 丸穴、角穴、刀掛け、馬のたらい等が有る。
経小屋山 岩の先に柱穴  水が溜まっていた
どのような城だったのだろう?
岩の先に柱穴 水が溜まっていた どのような城だったのだろう?
経小屋山 北展望岩
日没間近で休憩する時間はない
見えている山は分からない
北展望岩 日没間近で休憩する時間はない 見えている山は分からない
経小屋山 北展望岩から経小屋山
気持ちが焦り💦ます
北展望岩から経小屋山 気持ちが焦り💦ます
経小屋山 急な花崗岩の道を降ります
急な花崗岩の道を降ります
経小屋山 妹背の滝側の登山口に降りて来た
左側はトイレです
ここから舗装道
妹背の滝側の登山口に降りて来た 左側はトイレです ここから舗装道
経小屋山 妹背の滝への遊歩道へ降ります
妹背の滝への遊歩道へ降ります
経小屋山 130段の階段を降ります
薄暗く、撮影するとフラッシュが光る
130段の階段を降ります 薄暗く、撮影するとフラッシュが光る
経小屋山 毛保川に架かる橋
毛保川に架かる橋
経小屋山 妹背の滝  雄滝
妹背の滝 雄滝
経小屋山 妹背の滝  雌滝
一筋の糸のように流れている
妹背の滝 雌滝 一筋の糸のように流れている
経小屋山 毛保川畔の桜
開花したばかりのようです
毛保川畔の桜 開花したばかりのようです
経小屋山 名勝  妹背の滝
日没ギリギリで駐車地に戻って来た
名勝 妹背の滝 日没ギリギリで駐車地に戻って来た
経小屋山 帰路につくと三日月が出ていた
こんなに遅くなるとは思わなかった💦
帰路につくと三日月が出ていた こんなに遅くなるとは思わなかった💦

もしも不適切なコンテンツをお見かけした場合はお知らせください。