藤尾城趾の南端は、現在奈良柳生カントリークラブの敷地となっており、一部はグリーンの下に埋れています。

この付近には、かつて薬師堂があり、薬師堂は狭川地域では最も古い建築だったと言われます。明治時代に、この薬師堂は、本尊の薬師如来坐像とともに、現在の中墓寺に移されました。

現在中墓寺に、この薬師堂はなく、新たに建てられた収蔵庫が薬師堂として使われています。

ところで、薬師堂跡周辺には室町時代の磨崖仏や石仏が点在していたといいます。

薬師堂跡にあった石仏には、地蔵菩薩像(桃山)、自然石彫込六地蔵菩薩像(室町)、磨崖阿弥陀如来像(磨崖線刻不動明王像)、自然石梵字種字碑(室町)などがあるようです。

しかし、これらの石仏は、現在ゴルフ場の敷地内にある「石仏公園」に安置されているため、柵の外からは、後ろ姿しか見られませんでした。ゴルフをプレーしない限り見学できないそうです。 戻る 次へ

観音坂十一面観音磨崖仏〜大神田阿弥陀不動双体磨崖仏〜藤尾城跡の写真

2021.03.10(水) 15:48

藤尾城趾の南端は、現在奈良柳生カントリークラブの敷地となっており、一部はグリーンの下に埋れています。 この付近には、かつて薬師堂があり、薬師堂は狭川地域では最も古い建築だったと言われます。明治時代に、この薬師堂は、本尊の薬師如来坐像とともに、現在の中墓寺に移されました。 現在中墓寺に、この薬師堂はなく、新たに建てられた収蔵庫が薬師堂として使われています。 ところで、薬師堂跡周辺には室町時代の磨崖仏や石仏が点在していたといいます。 薬師堂跡にあった石仏には、地蔵菩薩像(桃山)、自然石彫込六地蔵菩薩像(室町)、磨崖阿弥陀如来像(磨崖線刻不動明王像)、自然石梵字種字碑(室町)などがあるようです。 しかし、これらの石仏は、現在ゴルフ場の敷地内にある「石仏公園」に安置されているため、柵の外からは、後ろ姿しか見られませんでした。ゴルフをプレーしない限り見学できないそうです。

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