大平山・石切山・多田街道(兵庫県川西市・宝塚市)

2021.03.04(木) 日帰り

チェックポイント

DAY 1
合計時間
4 時間 55
休憩時間
14
距離
15.9 km
のぼり / くだり
682 / 685 m
45
15
1 9
1 40
28

活動詳細

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清和台➞柳谷➞けやき坂➞芋生➞大平山➞大平山の南西約500m の三角点➞若宮の南➞湯山台の西端➞北雲雀きずきの森➞石切山➞北雲雀きずきの森➞金時坂➞多田街道➞多田神社➞移瀬➞清和台 万歩計:約28,000歩 家を出る時は、ただ、《 北雲雀きずきの森 から 石切山 へ登る 》 ということだけを考えていました。石切山と言えば 常に 釣鐘山と纏めて 南東(:川西能勢口方面)から登って 北西(:満願寺北)へ抜ける 若しくはその逆、というコースという決めつけがあり、いつもそのルートでしたが、その度に、《 あれっ、北へ、北雲雀きずきの森方面への道があるな、なんか気になるなぁ、後日行ってみよう 》 と思いながら、ずるずると実行せずに日が経って、で、その内に、YAMAP で前々より私と考えが似ているなぁと注目してる方々が 続いて この 《 北雲雀きずきの森から石切山へ登る 》 という活動日記を YAMAP に上げておられて、それを読んで、やっぱり面白そうと思い、行ってみることにしました。 https://yamap.com/activities/9630069 https://yamap.com/activities/10055394 で、家(:川西市北西部、清和台)から 北雲雀きずきの森 へ行くのに、車が煩い幹線道路を避けて若宮経由で行こうとして、大平山への北からの登り口の前を通過しようとして、《 そうそう、大平山も、YAMAP を始めてからは未だ登っていないなぁ。何度もこの前を通りながら、また別の日に登ろう、と思いながらずるずると行かずに先延ばしにし続けて来たなぁ。石切山に登るだけの、時間も体力も気持ちも余裕がある今日こそは、大平山に寄って行こう 》 と思い、今日、石切山に行く前に、大平山に登ることにしました。但し、その時は、《 大平山は、昔は、東西南北四方から登山道があったのに、最近は、この北からの道以外の3つのルートは草むらの中に消えて、今はもう行けないらしい。今日、北から登って北に戻るしかないのだろう。南へ抜けることができたら、この後 石切山に行くのに都合がいいのに 残念。 》 と思っていました。処が、実際に登ってみたら、話が違っていて、思いがけない展開になりました。大平山山頂に近づくと、何か人の声が聞こえます。最初は、山の中を一人で歩いている時によくある幻聴かな、と思っていましたが、山頂に着くと、本当に人が居ました。(私はまさかこんなとこに人が居るなんて、と思ってビックリしましたが、相手の方も、まさか 人が登ってくるなんて、と ビックリなさったそうです。)私よりちょっと年上の男性4~5人程が、山道・山頂を整備する作業をなさっておられたのです。山頂辺りを少し拓いて、周りの木の枝を間引きして展望を良くして、ちょっとした山頂広場を作っておられました。以前は、山頂に来ても 展望が悪く ただの森の中で、「山頂に来た」感がしませんでしたが、私が来た時には、東(:多田院・新田・多田クリーンハイツ方面)が木の間から見えるようになっていて、以前より展望が良くなっていました。で、挨拶とお礼の後、「湯山台の方へ行けますか?」とお伺いしたところ、「行けますよ。私ら湯山台から来ました。」とのこと。(後日判ったことですが、「遊山会」という名前のグループの方々でした。)この方々は、湯山台からの道の整備もなさっておられたようです。そこで 私は、来た道を引き返す予定を変更し、南へ、湯山台へ降りることにしました。で、挨拶・お礼を済ませて南へ行くと、草が刈られて 真新しいテープが貼られて 案内板が出来ていました。で、少し行くと、分岐の案内があります。湯山台・多田方面への道と、三角点方面へ道の分岐という案内です。大平山は、山頂には三角点がなく、大平山山頂の南西約500m位のところに標高 299.3m の頂があり、そこに三角点があります。で、その三角点への道を示す案内板があるということは、三角点へ行けるのか!?じゃぁ、そっちに行こう、ということで、再度ルートを変更し、三角点を目指しました。やはり、真新しいテープや案内板があって、簡単に行けるようになっていました。そうして、P299.3m の三角点を経由し、そのまま更に南西へ進んで、若宮のちょっと南に出ました。 それから、ゴルフ場の北を通って湯山台へ行き、南野坂から 北雲雀きずきの森 へ行き、石切山へ登り、写真を撮って軽く休憩をとって、もう一つのルートで 北雲雀きずきの森 へ降りて、松が丘方向へ降りて、川西中学校を迂回して 金時坂経由で 火打2丁目辺りから多田街道に入り、多田街道を北上して萩原台の南端まで歩き、萩原台を縦断して(途中、萩原台内で、新興開発住宅地らしからぬカーブのところは旧街道の名残かもしれないと思い 寄り道しながら) 県道(新道/バイパス)で萩原台の最高部を抜けて 鶯台の北西端から 再度 旧街道らしい道を通って矢問に行き、「こんにゃく橋」を渡って[多田駅と多田神社を結ぶ県道]に出て、その県道を西に進んで多田神社へ、そこから多田大橋・移瀬経由で清和台へ帰りました。   ----- 今迄 私は、何人かの方たちに、「大平山は、昔は、東西南北から登山道があったのですが、最近は、北から(:芋生から)の道以外の3つのルートは草むらの中に消えて、今はもう行けませんよ」と言ってきたのですが、そういう自分自身は、今回、北から登って 三角点を通って南西へ降りる、ということをして、今迄嘘を言ってきた方々には、本当に申し訳なく思っています。すみませんでした。 そして、大平山の頂上や登山道を整備なさっていた湯山台の皆様(:「湯山台のTOKIO」)に感謝です。この方々が整備なさった結果、どうなったかについては、「ほたる」さんの活動日記に報告されています。そちらもご覧ください。:https://yamap.com/activities/10140843   ----- 多田駅と多田神社を結ぶ道は、「兵庫県道130号多田停車場多田院線」といいます。古風な名前でおもしろいな。   ----- 「こんにゃく橋」について。私が川西に引っ越して来て、多田中学校に転校してきた約50年前は、この辺りには、幅50cm 位の工事現場の足場板の様な板を 川の流れの中に頭を出している岩と岩の間に渡しただけの"橋"があり、矢問や西多田の子は、その"橋"を渡って通学していました。我々多田中の生徒たちは、その"橋"を「こんにゃく橋」と呼んでいました。或る年、「通学路がこんなんはアカンやろ」ということで多田中の PTA が地元の市議会議員と一緒に市役所に陳情し、ちゃんとした橋が架けられることになりました。で、その橋も、平成になってもっとしっかりしたものに架けらえられて、それが今の橋です。或る年、私は、川西市役所発行の文書で、この橋の名前が「こんにゃく橋」となっているのを見つけて、多田中OBのひとりとして、びっくりし爆笑しました。   ----- 多田神社の近くにある「矢問」(やとう)という地名の由来は、968年、源義仲が住吉大社に参篭した時、夢枕に住吉神が現れ「白羽の鏑矢を空に向かって射よ。落ちた処を探せ。」とのお告げがあり、満仲が矢を放ちこの辺りで白髪の老人に矢の落ちた場所を問うた、という話だそうで、それを聞いた多田中生:「危ないやないか!」。   ----- 旧街道と云うのは、先ず、地図を見て、細い道でくねくね曲がりながら長々と続く道があれは、それは、大抵、旧街道で、そういう処に実際に行ってみると、石の灯篭や小さい祠やお地蔵さんや旧家らしいお屋敷などが点在して、そこが旧街道であることを示してくれます。

北摂里山トレイル(伊丹市・宝塚市・川西市・猪名川町エリア) 清和台➞柳谷➞けやき坂➞芋生➞大平山➞大平山の南西約500m の三角点➞若宮の南➞湯山台の西端➞北雲雀きずきの森➞石切山➞北雲雀きずきの森➞金時坂➞多田街道➞多田神社➞移瀬➞清和台
清和台➞柳谷➞けやき坂➞芋生➞大平山➞大平山の南西約500m の三角点➞若宮の南➞湯山台の西端➞北雲雀きずきの森➞石切山➞北雲雀きずきの森➞金時坂➞多田街道➞多田神社➞移瀬➞清和台
北摂里山トレイル(伊丹市・宝塚市・川西市・猪名川町エリア) 柳谷
源氏の家紋の「笹竜胆」の由来か?
柳谷 源氏の家紋の「笹竜胆」の由来か?
北摂里山トレイル(伊丹市・宝塚市・川西市・猪名川町エリア) 大平山への北からの登り口
大平山への北からの登り口
北摂里山トレイル(伊丹市・宝塚市・川西市・猪名川町エリア) 大平山山頂
大平山山頂
北摂里山トレイル(伊丹市・宝塚市・川西市・猪名川町エリア) 大平山山頂
大平山山頂
北摂里山トレイル(伊丹市・宝塚市・川西市・猪名川町エリア) 大平山山頂から南西約500m 位のところにある三角点への道
大平山山頂から南西約500m 位のところにある三角点への道
北摂里山トレイル(伊丹市・宝塚市・川西市・猪名川町エリア) 大平山山頂から南西約500m 位のところにある三角点標石
「四䓁三𧢲点」
大平山山頂から南西約500m 位のところにある三角点標石 「四䓁三𧢲点」
北摂里山トレイル(伊丹市・宝塚市・川西市・猪名川町エリア) 三角点標石の処にあった道案内
三角点標石の処にあった道案内
北摂里山トレイル(伊丹市・宝塚市・川西市・猪名川町エリア) 三角点から更に南西へ降りて行って、[若宮から湯山台北西へ行く道]へ降りてきたところ
三角点から更に南西へ降りて行って、[若宮から湯山台北西へ行く道]へ降りてきたところ
北摂里山トレイル(伊丹市・宝塚市・川西市・猪名川町エリア) 湯山台西端から満願寺方面へ行く道。石切山へ西から登るならここを曲がる。今日は、石切山へ 北雲雀きずきの森 から登るので、ここを曲がらない
湯山台西端から満願寺方面へ行く道。石切山へ西から登るならここを曲がる。今日は、石切山へ 北雲雀きずきの森 から登るので、ここを曲がらない
北摂里山トレイル(伊丹市・宝塚市・川西市・猪名川町エリア) 北雲雀きずきの森 北からの入り口
北雲雀きずきの森 北からの入り口
北摂里山トレイル(伊丹市・宝塚市・川西市・猪名川町エリア) 北雲雀きずきの森 案内板
北雲雀きずきの森 案内板
北摂里山トレイル(伊丹市・宝塚市・川西市・猪名川町エリア) 石切山への登り口
石切山への登り口
北摂里山トレイル(伊丹市・宝塚市・川西市・猪名川町エリア) 石切山を満願寺方面へ降りる道に合流する少し手前に分岐がある。どっちでもいいが、左を選んだ。
石切山を満願寺方面へ降りる道に合流する少し手前に分岐がある。どっちでもいいが、左を選んだ。
北摂里山トレイル(伊丹市・宝塚市・川西市・猪名川町エリア) 石切山を満願寺方面へ降りる道に合流したところ
石切山を満願寺方面へ降りる道に合流したところ
北摂里山トレイル(伊丹市・宝塚市・川西市・猪名川町エリア) 石切山頂点
石切山頂点
北摂里山トレイル(伊丹市・宝塚市・川西市・猪名川町エリア) 石切山頂点三角点標石
「三䓁三𧢲點」
石切山頂点三角点標石 「三䓁三𧢲點」
北摂里山トレイル(伊丹市・宝塚市・川西市・猪名川町エリア) 石切山頂点近く西側の展望台より、大阪平野、大阪空港方面を望む
石切山頂点近く西側の展望台より、大阪平野、大阪空港方面を望む
北摂里山トレイル(伊丹市・宝塚市・川西市・猪名川町エリア) 石切山頂点近く東側の展望台
石切山頂点近く東側の展望台
北摂里山トレイル(伊丹市・宝塚市・川西市・猪名川町エリア) 石切山より釣鐘山方向へ降りていく途中にある、北雲雀きずきの森方面への分岐にあった案内。
石切山より釣鐘山方向へ降りていく途中にある、北雲雀きずきの森方面への分岐にあった案内。
北摂里山トレイル(伊丹市・宝塚市・川西市・猪名川町エリア) 北雲雀きずきの森に降りてきた
北雲雀きずきの森に降りてきた
北摂里山トレイル(伊丹市・宝塚市・川西市・猪名川町エリア) 「金時坂」というらしい。
金時は、「頼光四天王」の一人の坂田金時で、「金太郎」とも。
で、この坂の名前になる由来とかは不明。まぁ、源頼光の家来なんだから、この辺を通ったこともあるだろうというのは多分間違ってはいないのだろうが・・・
「金時坂」というらしい。 金時は、「頼光四天王」の一人の坂田金時で、「金太郎」とも。 で、この坂の名前になる由来とかは不明。まぁ、源頼光の家来なんだから、この辺を通ったこともあるだろうというのは多分間違ってはいないのだろうが・・・
北摂里山トレイル(伊丹市・宝塚市・川西市・猪名川町エリア) これより「多田街道」
大きな石の灯篭が、旧街道らしい。

旧街道と云うのは、先ず、地図を見て、細い道でくねくね曲がりながら長々と続く道があれは、それは、大抵、旧街道で、そういう処に実際に行ってみると、石の灯篭や小さい祠やお地蔵さんや旧家らしいお屋敷などが点在して、そこが旧街道であることを示してくれます。
これより「多田街道」 大きな石の灯篭が、旧街道らしい。 旧街道と云うのは、先ず、地図を見て、細い道でくねくね曲がりながら長々と続く道があれは、それは、大抵、旧街道で、そういう処に実際に行ってみると、石の灯篭や小さい祠やお地蔵さんや旧家らしいお屋敷などが点在して、そこが旧街道であることを示してくれます。
北摂里山トレイル(伊丹市・宝塚市・川西市・猪名川町エリア) 旧街道らしい家
旧街道らしい家
北摂里山トレイル(伊丹市・宝塚市・川西市・猪名川町エリア) 多田街道、萩原辺り
多田街道、萩原辺り
北摂里山トレイル(伊丹市・宝塚市・川西市・猪名川町エリア) 旧街道らしく、小さな祠
旧街道らしく、小さな祠
北摂里山トレイル(伊丹市・宝塚市・川西市・猪名川町エリア) 旧街道らしく、沢山のお地蔵さん
旧街道らしく、沢山のお地蔵さん
北摂里山トレイル(伊丹市・宝塚市・川西市・猪名川町エリア) 旧街道らしい細くて急な坂
旧街道らしい細くて急な坂
北摂里山トレイル(伊丹市・宝塚市・川西市・猪名川町エリア) 矢問のちょっと南に、味のある山寺があった。
矢問のちょっと南に、味のある山寺があった。
北摂里山トレイル(伊丹市・宝塚市・川西市・猪名川町エリア) 矢問のちょっと北で猪名川を渡る橋「こんにゃく橋」
私が川西に引っ越してきて、多田中学校に転校してきた約50年前は、この辺りには、幅50cm 位の工事現場の足場板のような板を 川の流れの中に頭を出している岩と岩の間に渡しただけの"橋"があり、矢問や西多田の子は、その"橋"を渡って通学していた。我々多田中の生徒たちは、その"橋"を「こんにゃく橋」と呼んでいた。或る年、「通学路がこんなんじゃダメだろ」ということで多田中の PTA が地元の市議会議員と一緒に市役所に陳情し、ちゃんとした橋が架けられることになった。で、その橋も、平成になってもっとしっかりしたものに架けらえられ、それが今の橋。或る年、川西市役所発行の文書で、この橋の名前が「こんにゃく橋」となっているのを見つけて、多田中OBのひとりとして、びっくりし爆笑した。
矢問のちょっと北で猪名川を渡る橋「こんにゃく橋」 私が川西に引っ越してきて、多田中学校に転校してきた約50年前は、この辺りには、幅50cm 位の工事現場の足場板のような板を 川の流れの中に頭を出している岩と岩の間に渡しただけの"橋"があり、矢問や西多田の子は、その"橋"を渡って通学していた。我々多田中の生徒たちは、その"橋"を「こんにゃく橋」と呼んでいた。或る年、「通学路がこんなんじゃダメだろ」ということで多田中の PTA が地元の市議会議員と一緒に市役所に陳情し、ちゃんとした橋が架けられることになった。で、その橋も、平成になってもっとしっかりしたものに架けらえられ、それが今の橋。或る年、川西市役所発行の文書で、この橋の名前が「こんにゃく橋」となっているのを見つけて、多田中OBのひとりとして、びっくりし爆笑した。
北摂里山トレイル(伊丹市・宝塚市・川西市・猪名川町エリア) 多田神社のちょっと東に、「満願寺へはここを左へ」という標識がある。今は、多田神社の正門の前に橋が架かっていて、多田神社から満願寺へ行くのはその橋を渡るが、昔は、この辺りに橋か渡しがあって、それを通って満願寺へ行ったようだ。
 -----
ところで、能勢電多田駅と多田神社を結ぶ道は、「兵庫県道130号多田停車場多田院線」という。
多田神社のちょっと東に、「満願寺へはここを左へ」という標識がある。今は、多田神社の正門の前に橋が架かっていて、多田神社から満願寺へ行くのはその橋を渡るが、昔は、この辺りに橋か渡しがあって、それを通って満願寺へ行ったようだ。  ----- ところで、能勢電多田駅と多田神社を結ぶ道は、「兵庫県道130号多田停車場多田院線」という。
北摂里山トレイル(伊丹市・宝塚市・川西市・猪名川町エリア) 多田神社の南東角、
石垣と堀、どうみても「城」

「人は城、人は石垣…」の武田氏の甲府の武田神社と同じ。

足利氏の足利市の鑁阿寺(ばんなじ)も そんな感じ。
多田神社の南東角、 石垣と堀、どうみても「城」 「人は城、人は石垣…」の武田氏の甲府の武田神社と同じ。 足利氏の足利市の鑁阿寺(ばんなじ)も そんな感じ。
北摂里山トレイル(伊丹市・宝塚市・川西市・猪名川町エリア) 多田神社の南の堀と石垣、
堀は、昔は もっと広くもっと深かった
多田神社の南の堀と石垣、 堀は、昔は もっと広くもっと深かった
北摂里山トレイル(伊丹市・宝塚市・川西市・猪名川町エリア) 多田神社を正面から
多田神社は、戦いの神様。
昔、「阪急ブレーブス」というプロ野球チームがあった。毎年ペナントレースが始まる前に、球団の代表が多田神社にお詣りに来ていた。だから、阪急ブレーブスは強かった。一方阪神タイガースは、西宮恵比寿にお詣りしていた。恵比寿さまは商売の神様。だから阪神球団は儲かっていた。
私も受験戦争という戦いで勝つために、中学卒業以来、マメに多田神社にお参りした。御蔭で第一志望の大学に合格できた。中学を卒業してから4年後に。
多田神社を正面から 多田神社は、戦いの神様。 昔、「阪急ブレーブス」というプロ野球チームがあった。毎年ペナントレースが始まる前に、球団の代表が多田神社にお詣りに来ていた。だから、阪急ブレーブスは強かった。一方阪神タイガースは、西宮恵比寿にお詣りしていた。恵比寿さまは商売の神様。だから阪神球団は儲かっていた。 私も受験戦争という戦いで勝つために、中学卒業以来、マメに多田神社にお参りした。御蔭で第一志望の大学に合格できた。中学を卒業してから4年後に。
北摂里山トレイル(伊丹市・宝塚市・川西市・猪名川町エリア) 多田神社
注目してほしいのは、源氏の家紋の「笹竜胆」と徳川の家紋の「三葉葵」の二つが並んでいること。
徳川家康は、征夷大将軍になる為に、源氏を詐称した。その為に清和源氏発祥の多田神社と特殊な関係になった。多田神社は、徳川が清和源氏を詐称するのを容認し、徳川幕府は多田神社を保護する、というような話が良く言われたのだが、徳川家康は、慶長8年(1603年)2月12日、朝廷より、源氏長者に任命されているから、多田神社に認めて貰う必要は無かっただろう。
多田神社 注目してほしいのは、源氏の家紋の「笹竜胆」と徳川の家紋の「三葉葵」の二つが並んでいること。 徳川家康は、征夷大将軍になる為に、源氏を詐称した。その為に清和源氏発祥の多田神社と特殊な関係になった。多田神社は、徳川が清和源氏を詐称するのを容認し、徳川幕府は多田神社を保護する、というような話が良く言われたのだが、徳川家康は、慶長8年(1603年)2月12日、朝廷より、源氏長者に任命されているから、多田神社に認めて貰う必要は無かっただろう。
北摂里山トレイル(伊丹市・宝塚市・川西市・猪名川町エリア) なんちゃって源氏の徳川家は多田神社を保護したが、ガチの源氏の足利家は、特にそういうことをした記録がない。室町時代は、多田神社は廃れていた。足利家は、石清水八幡宮を保護し、戦で焼失したら再建するなどした。
なんちゃって源氏の徳川家は多田神社を保護したが、ガチの源氏の足利家は、特にそういうことをした記録がない。室町時代は、多田神社は廃れていた。足利家は、石清水八幡宮を保護し、戦で焼失したら再建するなどした。
北摂里山トレイル(伊丹市・宝塚市・川西市・猪名川町エリア) 多田神社内の摂社に「厳島神社」
えっ、厳島神社って、平家の神社では?それが清和源氏発祥の地の多田神社内に!?
そういえば、多田神社の西300m 位の処に「敦盛」という名前の字がある。敦盛と言えば、平敦盛、一の谷の合戦で、熊谷次郎直実と対決し殺されたという平家物語の中の一節で有名な平家の武将、それがなぜ清和源氏発祥の地の多田神社のすぐ近くに?不思議だ。
多田神社内の摂社に「厳島神社」 えっ、厳島神社って、平家の神社では?それが清和源氏発祥の地の多田神社内に!? そういえば、多田神社の西300m 位の処に「敦盛」という名前の字がある。敦盛と言えば、平敦盛、一の谷の合戦で、熊谷次郎直実と対決し殺されたという平家物語の中の一節で有名な平家の武将、それがなぜ清和源氏発祥の地の多田神社のすぐ近くに?不思議だ。
北摂里山トレイル(伊丹市・宝塚市・川西市・猪名川町エリア) 移瀬にある「寿久井の地蔵尊」
移瀬にある「寿久井の地蔵尊」

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