活動データ
タイム
04:55
距離
15.9km
のぼり
682m
くだり
685m
活動詳細
すべて見る清和台➞柳谷➞けやき坂➞芋生➞大平山➞大平山の南西約500m の三角点➞若宮の南➞湯山台の西端➞北雲雀きずきの森➞石切山➞北雲雀きずきの森➞金時坂➞多田街道➞多田神社➞移瀬➞清和台 万歩計:約28,000歩 家を出る時は、ただ、《 北雲雀きずきの森 から 石切山 へ登る 》 ということだけを考えていました。石切山と言えば 常に 釣鐘山と纏めて 南東(:川西能勢口方面)から登って 北西(:満願寺北)へ抜ける 若しくはその逆、というコースという決めつけがあり、いつもそのルートでしたが、その度に、《 あれっ、北へ、北雲雀きずきの森方面への道があるな、なんか気になるなぁ、後日行ってみよう 》 と思いながら、ずるずると実行せずに日が経って、で、その内に、YAMAP で前々より私と考えが似ているなぁと注目してる方々が 続いて この 《 北雲雀きずきの森から石切山へ登る 》 という活動日記を YAMAP に上げておられて、それを読んで、やっぱり面白そうと思い、行ってみることにしました。 https://yamap.com/activities/9630069 https://yamap.com/activities/10055394 で、家(:川西市北西部、清和台)から 北雲雀きずきの森 へ行くのに、車が煩い幹線道路を避けて若宮経由で行こうとして、大平山への北からの登り口の前を通過しようとして、《 そうそう、大平山も、YAMAP を始めてからは未だ登っていないなぁ。何度もこの前を通りながら、また別の日に登ろう、と思いながらずるずると行かずに先延ばしにし続けて来たなぁ。石切山に登るだけの、時間も体力も気持ちも余裕がある今日こそは、大平山に寄って行こう 》 と思い、今日、石切山に行く前に、大平山に登ることにしました。但し、その時は、《 大平山は、昔は、東西南北四方から登山道があったのに、最近は、この北からの道以外の3つのルートは草むらの中に消えて、今はもう行けないらしい。今日、北から登って北に戻るしかないのだろう。南へ抜けることができたら、この後 石切山に行くのに都合がいいのに 残念。 》 と思っていました。処が、実際に登ってみたら、話が違っていて、思いがけない展開になりました。大平山山頂に近づくと、何か人の声が聞こえます。最初は、山の中を一人で歩いている時によくある幻聴かな、と思っていましたが、山頂に着くと、本当に人が居ました。(私はまさかこんなとこに人が居るなんて、と思ってビックリしましたが、相手の方も、まさか 人が登ってくるなんて、と ビックリなさったそうです。)私よりちょっと年上の男性4~5人程が、山道・山頂を整備する作業をなさっておられたのです。山頂辺りを少し拓いて、周りの木の枝を間引きして展望を良くして、ちょっとした山頂広場を作っておられました。以前は、山頂に来ても 展望が悪く ただの森の中で、「山頂に来た」感がしませんでしたが、私が来た時には、東(:多田院・新田・多田クリーンハイツ方面)が木の間から見えるようになっていて、以前より展望が良くなっていました。で、挨拶とお礼の後、「湯山台の方へ行けますか?」とお伺いしたところ、「行けますよ。私ら湯山台から来ました。」とのこと。(後日判ったことですが、「遊山会」という名前のグループの方々でした。)この方々は、湯山台からの道の整備もなさっておられたようです。そこで 私は、来た道を引き返す予定を変更し、南へ、湯山台へ降りることにしました。で、挨拶・お礼を済ませて南へ行くと、草が刈られて 真新しいテープが貼られて 案内板が出来ていました。で、少し行くと、分岐の案内があります。湯山台・多田方面への道と、三角点方面へ道の分岐という案内です。大平山は、山頂には三角点がなく、大平山山頂の南西約500m位のところに標高 299.3m の頂があり、そこに三角点があります。で、その三角点への道を示す案内板があるということは、三角点へ行けるのか!?じゃぁ、そっちに行こう、ということで、再度ルートを変更し、三角点を目指しました。やはり、真新しいテープや案内板があって、簡単に行けるようになっていました。そうして、P299.3m の三角点を経由し、そのまま更に南西へ進んで、若宮のちょっと南に出ました。 それから、ゴルフ場の北を通って湯山台へ行き、南野坂から 北雲雀きずきの森 へ行き、石切山へ登り、写真を撮って軽く休憩をとって、もう一つのルートで 北雲雀きずきの森 へ降りて、松が丘方向へ降りて、川西中学校を迂回して 金時坂経由で 火打2丁目辺りから多田街道に入り、多田街道を北上して萩原台の南端まで歩き、萩原台を縦断して(途中、萩原台内で、新興開発住宅地らしからぬカーブのところは旧街道の名残かもしれないと思い 寄り道しながら) 県道(新道/バイパス)で萩原台の最高部を抜けて 鶯台の北西端から 再度 旧街道らしい道を通って矢問に行き、「こんにゃく橋」を渡って[多田駅と多田神社を結ぶ県道]に出て、その県道を西に進んで多田神社へ、そこから多田大橋・移瀬経由で清和台へ帰りました。 ----- 今迄 私は、何人かの方たちに、「大平山は、昔は、東西南北から登山道があったのですが、最近は、北から(:芋生から)の道以外の3つのルートは草むらの中に消えて、今はもう行けませんよ」と言ってきたのですが、そういう自分自身は、今回、北から登って 三角点を通って南西へ降りる、ということをして、今迄嘘を言ってきた方々には、本当に申し訳なく思っています。すみませんでした。 そして、大平山の頂上や登山道を整備なさっていた湯山台の皆様(:「湯山台のTOKIO」)に感謝です。この方々が整備なさった結果、どうなったかについては、「ほたる」さんの活動日記に報告されています。そちらもご覧ください。:https://yamap.com/activities/10140843 ----- 多田駅と多田神社を結ぶ道は、「兵庫県道130号多田停車場多田院線」といいます。古風な名前でおもしろいな。 ----- 「こんにゃく橋」について。私が川西に引っ越して来て、多田中学校に転校してきた約50年前は、この辺りには、幅50cm 位の工事現場の足場板の様な板を 川の流れの中に頭を出している岩と岩の間に渡しただけの"橋"があり、矢問や西多田の子は、その"橋"を渡って通学していました。我々多田中の生徒たちは、その"橋"を「こんにゃく橋」と呼んでいました。或る年、「通学路がこんなんはアカンやろ」ということで多田中の PTA が地元の市議会議員と一緒に市役所に陳情し、ちゃんとした橋が架けられることになりました。で、その橋も、平成になってもっとしっかりしたものに架けらえられて、それが今の橋です。或る年、私は、川西市役所発行の文書で、この橋の名前が「こんにゃく橋」となっているのを見つけて、多田中OBのひとりとして、びっくりし爆笑しました。 ----- 多田神社の近くにある「矢問」(やとう)という地名の由来は、968年、源義仲が住吉大社に参篭した時、夢枕に住吉神が現れ「白羽の鏑矢を空に向かって射よ。落ちた処を探せ。」とのお告げがあり、満仲が矢を放ちこの辺りで白髪の老人に矢の落ちた場所を問うた、という話だそうで、それを聞いた多田中生:「危ないやないか!」。 ----- 旧街道と云うのは、先ず、地図を見て、細い道でくねくね曲がりながら長々と続く道があれは、それは、大抵、旧街道で、そういう処に実際に行ってみると、石の灯篭や小さい祠やお地蔵さんや旧家らしいお屋敷などが点在して、そこが旧街道であることを示してくれます。
もしも不適切なコンテンツをお見かけした場合はお知らせください。