大行寺山 ~三千三百三十三の石段~

2021.02.27(土) 日帰り

活動データ

タイム

02:44

距離

5.8km

上り

775m

下り

774m

チェックポイント

DAY 1
合計時間
2 時間 44
休憩時間
16
距離
5.8 km
上り / 下り
775 / 774 m
1 27
1 12

活動詳細

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 土曜の午前九時、俺はレンタルした軽自動車のハンドルを握り九州自動車道を北上していた。車は去年七月の集中豪雨で球磨川の氾濫により甚大な被害を出した人吉や八代を通過していく。災害当時、この九州自動車道も法面崩落、トンネル内冠水などに見舞われ通行止めになっていた。  俺は出張で水曜日から休日を挟み来週の金曜日まで宮崎県内に滞在中だ。本来なら九州の山を攻めたいところだが、出張前に天気予報を確認したところ週末の九州は天気が崩れる予報となっていた。山道具を持って来なかった俺は、体を鈍らせないために何かできないかと思案した結果、数年前にNHKの『ドキュメント72時間』で見た熊本県の三千三百三十三段の石段のことを思い出した。  ETCを使用しなかったため有人の料金所がある八代インターで高速を降り、国道443号を北東に向け車を走らせる。進むにつれ人家の間隔が開き、すれ違う車も稀な国道。案外人気スポットではないのかもしれない。そんなことを考えながら運転していると、『日本一の石段』のモノリスが見えて来た。駐車場は有料で、遠い所は二百円、近い所は三百円だった。俺は最も近い三百円の駐車場に車を停めた。すぐに笑顔が可愛らしいおばちゃんが来て、前払いの駐車料金を徴収される。「レンタカーで宮崎からかい?」ナンバープレートで解ることではあるが、このおばちゃん油断ならない。「今日はどうですか?人出は?」と訊くと、「ボチボチやねぇ」ととぼけられた。四分の三は埋まっているからまあまあということか。  登り始める前、石段の右に阿蘇大明神が祀られていたので、安全祈願と気を引き締めるため参拝した。1Lのテルモスやinゼリープロテインとエネルギー、更に負荷を上げるためノートPCも詰め込んだ街用のデイバッグを背負い、標高二四〇メートルから登りはスタートした。石段を二百段程上がると御堂があったので、念のためここでも安全祈願する。その後は途中三回程ほぼ水平と言っていいくらいの緩やかな坂道が現出するが、他は単調な世界が延々続く石段上りが始まった。石段の一段当たりの高さは、高過ぎず低過ぎず、絶妙の高さだった。俺は一定のペースで上の段に足を運ぶ。さながら石段を上る機械になったかのようだ。石段を見つめ続け、景色を楽しむ余裕もない。そもそも杉林に挟まれているため、ほとんど眺望がない。それでも時々お地蔵さまが上る人を励ますかのように現れるので、お地蔵様の笑顔を眺めるのがいい休憩になった。  千段を前にして、『Red Bull 白龍走』の優勝者氏名とタイムを刻んだ石碑が並ぶ場所がある。レッドブル主催で毎年開催されている石段を駆け上がる速度を競う競技だ。2020年はコロナウイルスの影響で開催されなかったが、2019年度の優勝タイムは男子が26分54秒、女子が32分03秒だった。単純計算で、1秒あたり二段の石段を上っている。途中の水平部分を考慮すると、もっと早いペースで石段を登らなければならない。とても無理だと思った。  千段を超えても同じリズムで上昇を続ける。気がつくと、さっきまで遠くに見えていた三人の女性たちの背中が3mくらいの距離に縮まっていた。三人姉妹が何か楽しそうにに話しながらゆっくり上っている。俺は聞き耳を立てた。今どきの若い娘たちがどのようなことを話題にしているのか純粋に興味があったからだ。言葉が聞き取れるように更に距離を縮めようと石段を上っていくと、感づかれたのか三人姉妹に道を譲られてしまった。確かに荒くなった息遣いが後ろから近付いたら気味悪い。後ろから「はぁ、はぁ」は俺でも嫌かもしれない。だからといって、前から「はぁ、はぁ」ならいいかと言うとそういう訳でもないが。昔、畑中葉子という人がいてだな・・・  ここは割と地味なアトラクションなのだが、家族連れが大変多い。子供たちは平気な顔をして上ってゆく。全く苦しそうに見えない。それと対照的に親御さんは辛そうだ。また、男女の二人連れも何組かいた。千五百段を超えたころ、一組のカップルの小さい背中が見えた。薄ピンク色のパーカーを着た女の子の歩調が少し遅れていて、男が腰に手を回してくっついたり離れたり、手を繋いだり離したりしていた。俺は羨望の熱い眼差しを向け、幸せの御裾分けをいただいた。まったく!ごちそうさまでした。  山と同じように、行き交う人々と挨拶を交わす。下りの人は上る人を励ますように声を掛ける。上る人は「大丈夫ですよ」という代わりに「こんにちは」と言う。俺に追い越される人の半数は息も絶え絶えで喘ぐように声を絞り出していた。二千段を超えてからは、ほとんど聞き取れない溜息のような「こんにちは」もあった。山に行く人のほとんどは、継続的に山通いをしているため、個人差はあるが体も順応しているしペースも知っている。しかし、この石段を訪れる人々の多くは、定期的に坂道や段差を数時間に渡り上り下りしていないはずだ。平地でいくら運動しても、高度を上げてゆく運動では対応できないものだ。そういう人はこの石段を修行場のように感じることだろう。俺は幸いにもほぼ週一の山行を続けている。普段の山行から比べれば物足りない感は否めない。三千三百三十三の石段上りは標高八六〇メートルであっけなく終わった。  石段を上りきると小さな広場になっていた。壊れた小さな木のベンチがひとつ。五人組の男女、女性二人組、ソロの女性など十人弱の人々が休んでいた。そして墓石のようなモニュメントが三基並んでいる。肥後熊本、細川家の第十八代当主でもあり日本新党から首相になった細川護熙。同じく元首相、不沈空母の中曽根康弘。また、石段竣工時の熊本県知事であった福島譲二。それぞれの石柱に、この三名が揮毫した書が刻まれていた。それにしても、この広場は石段へ注がれる情熱と比べると不釣り合いにあっさりしている。また、ここに於いても眺望は無だった。       石段の本来の名称は『釈迦院御坂遊歩道』であり、釈迦院という天台宗の寺の参道に過ぎない。石段を上り終えてその先に参道は続いている。折角なので釈迦院まで行ってみることにした。緩やかな傾斜を5分ほど上ると東屋が見えた。その手前に先程お裾分けをいただいたカップルが二人並んで遠くを眺めている。近づくと一気に展望が開けた。島原の方角に霞んでいるが雲仙岳が見える。そしてその右手には八代海に面した熊本市街が見えた。今日は曇りだが、晴れていたらさぞやいい景色であろう。また、夜景もきっと綺麗に違いない。石段を上って満足して帰るのでは勿体ない。ここまで来てよかったと思う。  カップルは体を寄せ合い雲仙岳をバックにスマートフォンで自撮りしようとしていた。俺はお節介心が疼き、というかちょっかい出したくなって、二人に向かって「撮りましょうか」と言った。彼女の方がありがたいという感じで「すみません。お願いします。」と俺にスマホを渡してくれた。こういう時、男の方は怪訝な表情をすることがある。これはオスの本能というものだろう。俺は男の反応を楽しみながらシャッターを切った。  釈迦院へは更に10分程度整備された参道を歩けばいい。見えてきた本堂の銅板葺きの屋根のなぜか一部分だけが真新しい赤銅色だった。あとで聞いた話だが、境内の銀杏の大木に落雷があったとき本堂の屋根にも落ちたらしく、これを修理したものだった。そして、奥の方に山門が現れる。本堂へ行くには少し遠回りになるが山門を目指すことにした。山門は一対の金剛力士像が安置された仁王門であった。この素朴な仁王様が真っ赤な御顔で迎えてくれた。仁王門から本堂を見ると本堂の前には五人の先客が一列に並び、ちょうど寺の人から話を聞き終えたところで、挨拶して仁王門とは違う方へ去って行った。  本堂の軒先では、お守りのようなものが並べられ、おじいさんとおばさんが両脇に佇んでいた。おじいさんは野球帽をかぶりマスクをしてパイプ椅子に座っている。おばさんもマスクをしているが、立ち上がってにこにこしていた。このおばさんが本当によくしゃべる。あれやこれやと楽しく説明してくれた。時々おじいさんも口を挿んでくるが、全く聞き取れない。俺はおじいさんを傷付けたくない一心で作り笑顔で「あっそうですか」とか言いながら適当に相槌を打った。笑っていいのか、関心したらいいのか分からなかったが、運よく当たりくじを引き続けたらしい。おじいさんは久しぶりの理解者に出会えた嬉しさに、身を乗り出して益々話しかけてくる。俺は窮地に立たされた。おばさんが幾分眉をひそめ俺とおじいさんを交互に見つめる。俺は適当に相槌を打ち続け半ば強引に切り抜けた。恐らくおじいさんの口には歯がない。その上熊本弁でマスクもしているので彼が言うことは絶対分からないと断言できる。果たしておばさんは理解できるのだろうか。  立ち去り際、おばさんが『角大師護符』を説明してくれた。この寺は天台宗である。本山は比叡山延暦寺。その延暦寺から全国の宗門の寺に下されたものらしい。コロナ禍の中、厄除けの神様の『アマビエ』が流行ったが、この『角大師護符』は天台宗の厄除けの御札である。これがなんともユーモラスな鬼が描かれていて、一目で気に入った。ありがたいので一枚いただいて帰ることにした。余談だが、この釈迦院で川苔山で消息を絶ったマーモットちゃんの冥福を祈った。  石段を上ったからには下らなければならない。苦手な下りの階段が三千三百三十三段待ち受けていた。下り始めて最初の踊り場で初老のおじさんが両膝に手をつき、うつむいて息を整えていた。俺は励ましの気持ちを込め「もう少しですよ!頑張って!」と言った。「×××から自転車で来とるけん、力を残しとかないと~、帰らないけんから~」おじさんは顔を上げ、少し泣き笑い気味だが屈託のないいい笑顔で笑った。  石段を上るときは下を見ているだけなので、周りをほとんど見なかった。しかし下るときは自然に何があるか分かるようになる。全く眺望などなないと思っていたが、実際は少しは海が見えるところがあったり、立派な大木が生えていることが分かる。余裕を持った心で風景を楽しむことができる。  下りも終盤に差し掛かると、お揃いの白いジャージに身を包んだ女子高生バスケット部の集団がキャッキャッと言いながら上ってきた。たった今小鳥のように囀っていた娘たちも、上昇するにつれ口数が少なくなるだろう。  最後の二百段を楽しんでいるとき、赤ちゃんをおんぶした女性が上ってきた。微笑みを湛え背中の赤ちゃんにスマホを向けて写真を撮っている。思わず「すごいですね」と声を掛ける。女性は顔を上げ、素敵な笑顔としか言いようがない表情で「ありがとうございます」と言った。女子高生もいいけど、女性の美しさとはこういうものなのだろうなと思う。母は強く美しい。  この山行のようなものの後、熊本市内のホテルにチェックインし、一人居酒屋へ行く。熊本では二月十八日に緊急事態宣言が解除され、街は賑わっていた。俺は居酒屋でクジラの刺身や山菜の天ぷらにありつくことができた。久しぶりのフキノトウの天ぷらは春の味、旨かった。そしてウイスキーもちょっと飲みたくなり、スナックにも足を延ばす。昔好きだった女性と同じ名前のスナックがあったので、ふらっと寄ってみた。そこにいた”ひとみ”というホステスがものすごく面白い人で、俺に向かって「一見さんは、何飲みますか?」とかいう。普通言わない。そして彼女は中々すごい体験をしていて、すこぶる話が面白かった。機会があったら書いてみたいと思う。

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